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>第7回いかなごのくぎ煮文学賞 入選作品発表



第七回 いかなごのくぎ煮文学賞 グランプリ作品



≪短歌≫
       「さあ食べな 佃煮なんて 呼ばせねえ ご堪能あれ イカしたカーブ」

               ぱんち さん(栃木県・女性・高3)



三田完先生講評

素材の鮮度が良いほど、きれいな曲線に仕上がるくぎ煮。それを「イカしたカーブ」とは、なんと痛快な表現!。そんじょそこらの佃煮と一緒にされたくないいかなごのプライドが、中森明菜の「少女A」のような声音で伝わってきます。


準グランプリ作品



≪エッセイ≫
  「くぎ煮に泣いた」

               瀬戸ピリカ さん(神奈川県・女性・53)


 釘抜き地蔵さん、というお堂が京都にある。そもそもは「苦」を抜いてくださるお地蔵さん。「苦を抜く」、つまりはその人にささった「釘を抜く」お地蔵さんだ。門前にも境内にも大きな釘抜きの像が置かれていて、観光客はあまり見かけない、こじんまりとしたお堂だ。
 年に一度、ここを訪れるようになって七年経つだろうか。はじめて訪れた翌月に東日本大震災が起こったから。二年前には、釘の絵が描かれた御礼の絵馬を納めた。
 原因不明の病で半寝たきりのようになったのは三十四の時だった。西洋医学にも東洋医学にも民間医療にも術がなく、以前どこかで見知って、頭の片隅に残って気になっていた釘抜き地蔵さんに、命がけですがりに行った。すがるしかなかった。
 そのすぐあとだ。不思議な出会いがあり、十三年間苦しんだ病名とその原因がわかり、おかげで専門医にたどりつき、快方を実感するようになったのは。そして、これまた不思議なことに、同じ頃、神戸に移り住んだ友から、いかなごのくぎ煮が送られてきたのだった。
 わが身にくいこんでいた無数の釘が、抜かれて折れ曲がった姿そのものであった。声をあげて泣きながらいただいた。甘くてからくてしょっぱくて、べとべとになった顔と口。それから四年あまりで寛解した。
 瀬戸内でいかなご漁がはじまった。京都のお堂の三面の壁には、天地左右にぎっしりと御礼の絵馬がはめ込まれている。そのひとつひとつに長い釘の絵が描かれ、絵馬を納めたひとりひとりが体験したであろう、筆舌に尽くしがたい苦しみがうかがえる。この世のさまざまな深い苦しみを想像させ、さまざまな深い悲しみを感じさせる。そしてこの世にささる、数え切れない釘を思わずにはいられない。
 今年もそろそろくぎ煮が届く。



三田完先生講評

京都の釘抜き地蔵に頼ったご自身の難病体験。そこには、いかなごのくぎ煮との不思議な因縁もありました。短い紙幅でくぎ煮と人生を描いた深みある文章が感動を誘います。


郵便局賞作品



≪川柳≫
       「桐箱が 似合うくぎ煮で ございます」

               すみよ さん(兵庫県・女性)


三田完先生講評

郵便局賞は郵送で届いた応募作品から選ばれます。本来は新聞紙で包むような庶民の味。しかし、不漁で高値がつづく昨今のくぎ煮事情を、澄ました顔でチクリと風刺した秀作です。


各部門特選作品



≪ 俳句 ≫
       「いかなごへやもめの伯父の落とし蓋」

               堀川真生 さん(千葉県・女性)



三田完先生講評

くぎ煮を煮つめる際の落とし蓋は、亡き連れ合いの見よう見まねでしょうか。人生のほろ苦さとともに、くぎ煮のいい香りが伝わってきます。



≪ 短歌 ≫
  「瀬戸内の 春の波間に ピチピチと プクプク煮詰めりゃ 茶の間ワクワク」

               ひだまり猫 さん(大阪府・女性・46)



三田完先生講評

「ピチピチ」「プクプク」「ワクワク」─擬音語擬態語を三つ重ねたことでリズムが生まれ、くぎ煮に対する作者の弾んだ思いが表現されました。



≪ 川柳 ≫
       「不漁かい いかなごだって 反抗期」

               たかちゃん さん(埼玉県・男性)



三田完先生講評

これは、ぜひ声に出して味わっていただきたい一句です。そう、「不漁」と「不良」が掛詞になっているんですよ。



≪ 詩 ≫
        「美味なるもの…」

                久保俊彦 さん(京都府・男性)


舟大工は釘をたたいている
漁師は網を繕っての準備支度
海女は海に潜る
春 小魚が回遊する
内海に…
 踊る
  踊る
   踊る
稚魚たちが
泡にまみれて水揚げされた
豊漁だ
透き通るからだがキラキラしている
陸に上げて釜茹でする
季節の到来を告げる
豊穣の海に鴎鳥が乱舞する
そんな 歳時には
昔からの風物詩であり
今に限ったものではない
海と生きる 民
民が育む 山海
平凡な季節
平凡な生活
平凡な現在
活気あふれる
ありふれた気配が受け継がれていく…
白くなったイカナゴの身で
料理する
その方法は家庭毎で加減は異なるが
醤油にザラメ砂糖を加えてミリンとショウガ
炊き上げる甘く、しょっぱくて
おいしい釘煮−釘のような色
いろいろな形が錆びて
曲がった春魚がいる
ただ ここ長田付近では
絶対にこの釘煮なのだろう
春まっさかりの漁港
真子を炊いて食することで季節を感じる
美味なる季節の物語



三田完先生講評

内海沿いに住むひとびと。乱舞する鴎。そして、網のなかで乱舞するいかなご…。いかなごのくぎ煮と暮しの関わりを歌った大いなる讃歌です。



≪ エッセイ ≫
       「ちょっと違う味」

               オウンゴール さん(大阪府・男性・64)



春になると、神戸に住む友人から母に電話が掛かってくる。すると母は、友人の煮たいかなごのくぎ煮を受け取りに梅田まで出掛ける。さすがにくぎ煮の本場。見た目も味も絶品だ。顔も知らない方ではあるが、くぎ煮の届く季節が、私には待ち遠しかった。
 だが、母にもプライドがあった。くぎ煮を受け取った帰りに、母はいかなごを買い求めて、自らもくぎ煮を煮る。その結果、私は春先のある日、二種類のくぎ煮の味比べをさせられるのだ。「ちょっと違うのよ」と母は言い、「どう、どっちがおいしい」と私に問い掛ける。照りが強く、生姜風味の効いている方が友人のくぎ煮だ。そして、母のくぎ煮は、どちらかと言えば素朴な味だ。
 「どっちもおいしいよ」では、母は喜ばない。勝負はついているのだが、「飾らない味がいいね」と、母のくぎ煮を褒めて満足させる。そして私は数日間、二種類のくぎ煮を絶妙のバランスで食する訳だ。
 しかし、そんなくぎ煮の味比べは、五年ほど前に終わりを告げた。その年、友人と待ち合わせたはずの母が、手ぶらで帰って来たのだ。そして、「約束の時間に母さんが姿を見せないって、お友達から電話があったよ」と告げると、「私はずっと待っていたのよ」と、母は困惑の表情を浮かべたのだ。
 今にして思うと、あれが認知症の始まりだった。出歩くのが好きだった母は、五年の月日を経た今、一人ではもう外出しない。いろいろな失敗を繰り返し、無気力にもなった。母の病変を知った友人からは、今年も春先に宅配便でくぎ煮が届いたが、それを黙々と食べる母に、以前の負けん気はもうない。
 母のくぎ煮の味が、今になって懐かしい。友人から届くそれは美味ではあるが、「ちょっと違う」のだ。あの素朴な味を思い出そうとする私と、くぎ煮を煮ることを忘れてしまった母。口数の少ない二人の食事が今日も続く。



三田完先生講評

母の作ったくぎ煮とよその家で作られたくぎ煮は、味がちょっと違う。それもまた、くぎ煮の楽しさ。しかし、そんな日常に変化が訪れます。禍福こもごもの人生を描いた佳篇。



ジュニア部門作品



≪ グランプリ ≫
短歌
       「青いうみから しょうゆのうみに ばしょをかえ おいしくなるよ いかなごたちは」 

               横道玄 さん(山口県・男性・小2)




三田完先生講評

「青いうみからしょうゆのうみ」─大人たちがふだん思いつかないような視線が新鮮でした。




≪ 俳句特選 ≫
       「テーブルに 春風ふわり くぎ煮かな」 

               りぼん さん(大阪府・女性・小3)



三田完先生講評

春風がふわり。くぎ煮の味もふわり。小学3年生の五感に季節が息づいています。



≪ 短歌特選 ≫
       「いかなごの 匂いの群れが 泳いでる 魚となってゆく 帰り道」

               八柄実穂 さん(兵庫県・女性・高1)



三田完先生講評

春の一日、いかなごを炊く香りがただよう町を歩くひとびと─。それを知らないひとにとってはシュールな一首。でも、作者にとっては現実の情景でしょう。



≪ 川柳特選 ≫
       「もういいかい 汁気とぶまで まあだだよ」

               見澤悠月 さん(埼玉県・男性・小1)



三田完先生講評

「汁気がなくなるまでじっと待つんだよ」。鍋の前でお祖母ちゃんからいつもいわれているのかもしれませんね。


≪ 詩特選 ≫
       「食卓」

               秦まりな さん(和歌山県・女性・高1)


小さい頃、テーブルの上のお箸は五つだった。
一人前に漆塗りの箸など持って、両親と祖父母と手料理をつつく私。
食卓にはよくカレーがのぼった。
なぜか福神漬けではなくいかなごが添えてあるカレーが。


私より一回り小さいお箸がテーブルに増えた。
ちいさな家族、私の弟。
食卓にはカレーに代わって、彼の好きなハヤシライスがよくのぼるようになった。
それでもなぜかいかなごは添えてある。


一番大きなお箸がテーブルに並ぶのが珍しくなった。
父の仕事が忙しくなり、なんだかだだっ広い食卓。
いかなごは毎日同じ小鉢に入ってテーブルにいるのに。


進学塾に通い始めた私。
八つ切り画用紙ほどの狭いテーブル、ぽつりと寂しそうな私のお箸。
お弁当の白米には今日もいかなごがフタに圧されて埋まっている。
家のテーブルと同じ、いかなごのくぎ煮が。


いつも持たない割り箸でのどを通らない昼食を食べる。
受験の日、コンビニのおにぎりの側にはタッパーにいっぱいのいかなごのくぎ煮。
お母さん、そんなに食べられないよ。


チャイムが鳴る。
勉強道具をとりあえず鞄に突っ込んで、代わりにいくつもの箸が並ぶ。
新しい風景、新しい食卓。
変わらないいかなごのご飯を頬張って、私は新しい友人の話に耳を傾ける。


赤本を開いてペンを握る深夜。
たった数時間の重さを痛感する日々。
明日、会場で開くお弁当には、いかなごが相変わらず埋まっているんだろうなあ。
カリカリと響く勤勉の音。


大きな隈を拵えて受け取った分厚い通知書。
家からは随分遠い大学の名前の封筒。
下宿の部屋をすぐさま借りて荷造りを始める。
自炊になっても変わらない、食卓のレギュラー。


離れた実家から毎月仕送りの段ボール箱が届く。
生活必需品と手紙、小遣い、そしていかなごのくぎ煮のパック。
どうやらタッパーはもうやめたらしい。


食卓に揃いの箸が並ぶ。
もうすぐ生まれるちいさなあなたへ、届いているといいなあ。
いかなごのくぎ煮のパックを開ける。


三田完先生講評

過去から未来まで、食卓の歴史にいつもいかなごのくぎ煮があります。


≪ エッセイ特選 ≫
       「おばあちゃんのいかなご」

               なーちゃん さん(京都府・女性・高3)


 いかなごのくぎ煮を見て、いつも思い出す。祖母が毎年送ってきてくれたいかなご。山椒入りと甘く煮たいかなご。小さいときの姉と私は、いかなごがくると、あつあつ炊き立ての白いご飯と一緒に、甘く煮たいかなごを頬ばり、お父さんとお母さんは山椒入りを頬張っていた。
 おばあちゃんが作るいかなごは少し甘すぎて、でも私達はそれが大好物だった。届いた日にはお礼の電話をいれ、その1週間もたたないうちに箱は空っぽになっていた。いかなごが高いときだって、おばあちゃんはそれをいっぱい買って甘く煮て、家まで送ってくれた。いかなごが不漁の時だって、私達孫のために一生懸命探してきて、心を込めて作ってくれた。
 そんな毎年春になると我が家の一品としてでてきたいかなごのくぎ煮は、3年前ほどから姿を消した。私の視界にもいかなごのくぎ煮は入ってこず、いかなごのくぎ煮を目にすることはなくなった。
 先週、祖母のお墓参りに行ってきた。その帰りに、地元の香りがする直売所に家族でちらっと寄ってみた。そこで目にしたのはいかなごのくぎ煮だった。
 お父さんと私の間にはなんとなく沈黙が流れ、その後に会話が続いた。おばあちゃんの作ってくれたいかなごのくぎ煮を思い出していた。なんだか懐かしい気持ちと、悲しい気持ちが入り混じって、胸が締め付けられた。
 お父さんはいかなごのくぎ煮をとても欲しそうにしていて、私もそんなお父さんを見て、笑いながら一番大きいサイズを買うことにした。でもやっぱりおばあちゃんの甘すぎるくぎ煮が一番で、もう一度それを食べたいと思った。


三田完先生講評

お祖母ちゃんの不在の陰に、いかなごのくぎ煮あり。一家の歴史とくぎ煮の香りが文章から伝わってきます。




いかなごのくぎ煮振興協会賞作品


≪ 俳句 ≫
      「母の煮る くぎ煮いつしか 祖母の味」

               畑菜々子 さん(兵庫県・女性・小6)



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

お祖母さまからお母さまへ伝わった「くぎ煮」の味。この次に受け継ぐのは、11歳のあなたです。いつか自分のお子さんにも伝えてくださいね。いかなご漁も末長く続くことを祈ります。




≪ 短歌 ≫
       「短歌7首」

               大濱義弘 さん(兵庫県・男性・74)


我が家の風物詩、くぎ煮。年女の妻は今年も元気にくぎ煮を炊いてくれました。妻への感謝を込めての歌です。


(二月二十六日朝)
暁闇の 茅渟の浦わに 軽やかな エンジン音よ シンコ解禁


(二月二十六日朝八時過ぎ 明石魚の棚へ)
気合込め シンコ解禁 アサ一に 市場へ向かう 妻の凛々しき
解禁の 日に十五キロ くぎ煮炊く 自己完結の 妻畏るべし
くぎ煮炊く 甘辛き香の 路地に満ち 垂水の街に 春は来にけり
キロ二千五百円にて 二十六キロ なけなしの 年金が飛ぶ


(三月一日夜)
今日寝部屋スッキリ くぎ煮炊く 醤油ザラメ鍋ザル すべて片付く
エビで鯛 ならぬくぎ煮の お礼とて 毛蟹二はいの ずしりと重し



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

くぎ煮文学賞にいつもご応募いただく常連の方の短歌連作。年々のいかなご事情がよくわかる作品です。それにしても1日に15kgものくぎ煮を炊かれる奥様、「畏るべし」ですね。




≪ 短歌 ≫
       「春の漁火」(短歌連作)

               小島涼我 さん(佐賀県・男性・中3)


(思ひ出−巡り来る春)
掲歌
着々と 玉筋魚漁の 準備進み もうすぐそこに 春は来てをり
解禁日を 吾は待ち侘び 祈りをり 今年もだうか 豊漁であれ


(漁火は波に耀ふ)
新玉の 春の月夜に 船々の 沖の漁火 波に耀う


(くぎ煮の匂ひは今も鮮明に覚へている)
玉筋魚の くぎ煮の匂ひ 漂へば 神戸界隈 春は来にけり
ご近所の 人より貰う 玉筋魚の くぎ煮は春の 便りなりけり
鍋のまま 玉筋魚くぎ煮 貰ひをり 我慢出来ずに 御飯をよそふ


(春の夜の食卓)
茶碗手に くぎ煮食(は)みをる 朧月夜 今宵の食卓 賑はひにけり


(明石の港)
灯火の 明石の港の 玉筋魚を 食み蘇る 故郷の春


(九州の地に)
九州の 店にくぎ煮は 無ひらしひ はたして此処で 生きられるだらうか


(再び春は巡り来る)
兵庫より 引っ越し来たる 九州に 巡り来る春 くぎ煮なき卓


(桜の便り)
花細し 桜の咲きて 春は来ぬ 何か足りなき 今宵の食卓


(薄れゆく記憶)
九州には くぎ煮の文化 無きが故 年々忘るる 故郷の味
春の来て 久しぶり食べて みたくなり 玉筋魚のくぎ煮と 検索をする
玉筋魚の くぎ煮の写真 見てをれば 蘇り来る 幼き春の日


(願ひが叶うとするならば)
もし一つ 願ひが叶うと するならば 迷はず吾は くぎ煮食べたき



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

くぎ煮が食べたい、という強い思いを感じます。最後のストレートな歌に思わず「願いを叶えて」あげたくなりました(笑)。久しぶりにくぎ煮を召し上がってください。




≪ 川柳 ≫
       「くぎ煮炊くときは 補聴器 外してる」

               島根のぽん太 さん(島根県・女性・50)



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

いかなごを買って、張り切って鍋に向かうお母様の姿が目に浮かびます。くぎ煮を炊くのは私!ということで、気持ちも若返るのかもしれませんね。




≪ 川柳 ≫
       「いかなごに 妻のドヤ顔 ついてくる」

               ヒロシこの夜 さん(千葉県・男性・66)



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

実は3月、私も自宅で2kg炊きました。鍋を持って記念撮影をしてブログに掲載したのですが、友人からドヤ顔だ、と指摘を受けました(笑)。




≪ 川柳 ≫
       「くぎ煮炊く 臭いを梅の 香に詫びる」

               岸本博子 さん(兵庫県・女性・69)



山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

事務局のある長田の街でも、いかなごを炊く香りが街に満ちていました。香りがとても強く、花の香りもかき消してしまいます。花より「くぎ煮」ですね(笑)。




≪ 川柳 ≫
       「くぎ煮かと 小鉢の底の 絵も摘まむ」

               テクノボー さん(栃木県・男性・61)




山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

くぎ煮のおいしさと、貴重さも感じる楽しい作品ですね。絵を摘んで苦笑い。眼鏡をかけておられなかったのかも(笑)。




≪ 川柳 ≫
       「ママのかお おこるとしろから くぎにいろ」

               ぱんだ さん(大阪府・男性・6)


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

6歳のお子さん、怒られながらも冷静にお母さんの顔を観察されているのかもしれません。お母様の血圧があまり上がりすぎないよう、良い子にしていてくださいね。




≪ 川柳 ≫
       「胃が丈夫 何せくぎ煮が 離乳食」

               沼田慎也 さん(東京都・男性・57)


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

おかゆにくぎ煮、最高に美味しいです。くぎ煮も適度にふやけて、赤ちゃんでもきっと食べられるはず。元気に育つこと間違いなしです。




≪ エッセイ ≫
       「忘れられない いかなごのくぎ煮」

               佐藤愛子 さん(大分県・女性・79)



今から二十数年前のこと。以前住んでた我が家のおとなりさんから、おみやげに「いかなごのくぎ煮」をいただきました。初めて食した時、あまりにも美味しかったのにびっくりした。スーパー等では各種さまざまな加工品が並んでいるが、「くぎ煮」は見当たらない。
 何故か私にとっては、「いかなごのくぎ煮」は忘れえぬ味となって、その後、その袋にあった住所に手紙出し、数回買うことが出来ました。長男家族と同居することになり、二世代住宅を建てました。そのどさくさで、いかなごの住所メモ書きを紛失してしまった。
 孫が三人でしたので、カルシュウムの多いいかなごが欲しかったが、どうすることも出来ず、ついつい年月が過ぎ、うっすらと忘れかけてたところ、今日、夢みたいな思わぬめぐり合わせがあったのです。
 私、高齢になったので、昨年から脳活にと思い、公募に挑戦していますが、何と四月号の本にいかなごの文字を見つけたのです。もちろん、目をうたがいましたョ。目をこすりながら、何度も読みましたョ。間違いなく「いかなごのくぎ煮」…。
 それが何と、私の得意とする川柳等の公募だったのです。しかし、作品の川柳づくりはそっちのけで、先ず「いかなごのくぎ煮」の注文書を書いた私。かたわらで見ていた主人に、そのくらい食い気があったら、百歳までは生きるぞ…とひやかされました。
 数年前、体調くずし、薬の副作用で歩行器での生活。要介護Aとなりましたが、常に前向きに脳活しながら生きる私。今度、あこがれの「いかなごのくぎ煮」を食べられたら。
 「もう一度 自力で歩く 夢を追」の目標が出来たようです。


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

「いかなごのくぎ煮文学賞」をこういう形で見つけていただき、喜んでいただけてとてもうれしいです。作品とともに事務局の伍魚福にご注文もいただいたそうです。今後も「くぎ煮」を召し上がってお元気で!




≪ エッセイ ≫
       「兄のくぎ煮」

               平正夫 さん(千葉県・男性・72))



 終戦の前の年(昭和十九年)、戦雲急雲を告げる中、長兄勇に徴兵命令が来た。
 これは、今は亡き母から聞いた話だ。
 三月の終わり頃、兄はいよいよ最前線へ送られることとなり、神戸に最後の帰郷をした。
 戦地に赴く長兄に、故郷のおいしいものを食べさせて、送り出してやりたい。
 長兄の口から出たのは、「くぎ煮やな。ちょうど旬やな。でも手に入らんやろ」という言葉だった。当時はもう生活物資はなくて、砂糖などは庶民には配給がなかった。
 それでも我が家には、当時としては貴重な砂糖があった。兄は軍人を運ぶ輸送船の船員をしていて、特別な配給があったらしい。
 海軍の軍人が乗船してくるから、砂糖などはけっこう用意されていたという。
 明日は戦地へ行くという日、母は須磨の方の、地元の漁師さんのところへ出掛けた。
 戦中のことだから、漁船も軍隊に徴用されて、人手も足りず、いかなご漁どころではなかったようだが、何とか漁をしていた人が見つかり、くぎ煮が手に入らないか頼んだ。
 にべもなく、砂糖が手に入らないから出来ないと断られた。
 母の奥の手は砂糖を提供することだ。
「せめて一口だけでも、戦地へ行く息子に食べさせてやりたいから」
 砂糖も余分に出したせいもあり、漁師さんの作ったくぎ煮は兄の口に入った。
 家庭の味というのもあるが、漁師さんの作るくぎ煮は新鮮で、格別においしいらしい。
 兄はそんな母の苦労を聞いて涙し、一匹一匹味わうように噛み締めて食べたそうだ。
 戦後二年目の春…、フィリッピン・ルソン島でマラリアで戦病死の公報が届いた。
 戦地でふと、折りに触れ、くぎ煮の味を思い出すことはあったのだろうか。
 神戸のくぎ煮の季節。私は今でも特別な思いで味わってしまうのだ…。


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

戦前の「くぎ煮」について書かれた貴重なエピソードです。昭和10年発行の「滋味風土記」というグルメ本にも漁師のつくったいかなごの「釘煎(くぎいり)」が美味しいとの記述があります。当時は一般の家庭では炊かれていなかったようですね。




≪ エッセイ ≫
       「懐かしのくぎに先生」

               櫻井俊甫 さん(大阪府・男性・83)



毎年、いかなごの季節がやってくると、私はスーパーの食品売場へと、大好物のくぎ煮を求めて走り出す。
 思えば小学四年生の時であった。岐阜県は山あいの寒い冬のある日、女のA先生と薪ストーブを囲んで楽しい給食が始まった。
「みんな、くぎ煮を知ってるかい」
「くぎは鉄やで、煮ても食えんです」
 私たち二十三人は、そんな笑い声で先生の麦飯の梅干し弁当をのぞきこんだ。
「これはメダカの佃煮ですか」
「違うよ。これは神戸の方の海で漁れるいかなごという小魚で、くぎ煮というんだよ」
「田んぼのイナゴの佃煮なら知っとるけど、僕らは海を見たことがないで知らんです」
 すると先生はニコニコ顔で、「神戸の親戚の人が持ってきてくれた」と、くぎ煮とやらを七〜八匹ずつ分けてくれながら、
「いかなごを煮詰めると、錆びて曲がったくぎのようになるからくぎ煮と言って、昔から神戸の方の名物で、栄養いっぱいだよ」
 分け終った後の先生の弁当の片隅には、二〜三匹しか残っていなかった。
 あめ色した初物の細いくぎ煮を、みんな珍しそうに神妙な顔で、恭しく一匹一匹味をたしかめるようにして食べた。
「先生!、こりゃ旨いです。お母さんに一匹持って帰って食べさせてやります。先生ほんとにありがとう」
 みんなで喜ぶと、先生は美しい顔をくしゃくしゃにして、真珠のような涙を光らせた。それからいつの間にか、先生のことを『くぎ煮先生』と親しくあだ名してしまった。
 あれから七十余年。私はその時のくぎ煮の味が忘れられず、大好物となった。
 今もくぎ煮を食べる時、ほのかに快い潮の香りと、しょうがの風味とともに、優しかった懐かしのくぎ煮先生が、赤く染まってくる瞼の奥に熱く浮かんできてならない。
 


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

70年以上も前に「くぎ煮先生」というあだながついていたとは(フィクションでないとすると)驚きです。先生の親戚に漁師さんがおられたのかもしれませんね。こちらも大変貴重なエピソードと言えます。




≪ エッセイ ≫
       「一番捕りイカナゴを近所で炊く」

               上野佳平 さん(兵庫県・男性・86)



今から80年も前の戦前のこと  3月になると、いつも私の家では近所の人が集まり、祖母の指導でイカナゴの佃煮の「チンカラ」を作っていた。
 淡路島東岸中央の私の家の持ち山が、海岸へ突き出ていたので、イカナゴの季節になると、漁師が「解禁日」など無いからその山へ上がり、紀淡海峡から入って来るイカナゴを見ていた。イカナゴが入って来ると海の色が変わるので、ノロシを挙げて合図をして、漁師がイカナゴ捕りの船を出していた。
 見守りのための山の使用は無料であるから、最初に捕れたイカナゴの茹でたのをバケツに一杯ぐらいを、私の家へお礼として持って来ていた。それを近所に配ったりした。
 私の町には九州薩摩の島津家の分家があって、千年も前から醸造業をしていて、獲れたイカナゴの佃煮を作っていた。回船問屋の私の家が佃煮を阪神間へ持って行って、大変に好評であり、そのことは長年続いていた。
 私の祖母はその島津家から嫁入りをして来て、女学校の「行儀作法」の先生であって、「家庭科」の授業も担当して、「イカナゴの佃煮」の作り方を教えたりしていた。
 そのことを私の家の近所でもするようになり、漁師がお礼に持って来る茹でたイカナゴを「生」でもらうようにして、九州薩摩で使っている「チンカラコンロ」で炊くことにした。祖母は島津家から多くのコンロを取り寄せて、近所の人に作り方を教えた。
 それが町中に拡がり、みんなは島津家でチンカラコンロを買って自分の家で作った。チンカラコンロで炊いた佃煮は「チンカラ」と言うようになり、「チンカラを神戸の親戚に送ったら喜ばれた」と言う声が多く聞かれた。
 それからは漁師が最初に捕れた生のイカナゴを、私の家へ多く持って来るようになり、それを配って近所が「チンカラ」を炊くことが続いた。今はそのことを知っている人は居ないが、「チンカラ」の言葉は残っている。


山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長 選評
( 株式会社伍魚福代表取締役社長)

淡路におけるくぎ煮のルーツに迫る証言と言えます。いかなごが紀淡海峡から入ってくる、ということも初めて耳にしました。お話を詳しく聞いてみたいです。




(事務局より)

今年のいかなご漁の解禁は、昨年よりも9日早い2月26日。漁の状況は昨年よりも少し良かったのですが、価格はキロ3,000円前後で高止まりしたままでした。そんな中、「いかなごのくぎ煮文学賞」の応募作品は年々充実、過去最高の3,170作品。たくさんのご応募誠にありがとうございました。
例年通りの楽しい作品だけでなく、今年は特に歴史的な価値のある証言も多く集まったように感じます。文化的、学術的な意義も高まりそうな「くぎ煮文学賞」。来年以降も実施予定です。
たくさんのご応募をお待ちしております。