第12回 いかなごのくぎ煮文学賞入賞作品

グランプリ
川柳:くぎ煮送れ かけ子うけ子の 子供たち 中村登志子 さん(大阪府・女性・74歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
この春も母の味を待ちわびる子供たちを特殊詐欺の犯人になぞらえた、川柳ならではの毒のある作品です。「クぎにおくれカケコうケコのコどもたち」と、カ行の音を重ねたことで、作者のセンスが光りました。早口言葉のような面白い韻律によって、人間たちの欲望に囲まれて右往左往するイカナゴ君のイメージがユーモラスに喚起されました。
準グランプリ
エッセイ:一匹の味 平正夫 さん(千葉県・男性・87歳)
 わたしが神戸に生まれたことは、とても幸運なことであったと思う。
 神戸の味覚の春は、いかなごから始まる。
 毎年、業者が籠を背負って一軒一軒売りに歩くのは、今朝獲れたばかりの生のいかなごである。いかなごは鮮度が大切だというが、子どものわたしが見た目でも、新鮮だということが分かったものだ。
 生のいかなごの食べ方は、まずは炭火の網の上でジュウジュウ焼くのが一番である。
 焼けた端からわたしたち子どもは、争うように二杯酢に、こっちもジュッと音させて浸して食べた。子ども心にも、こんなおいしいものがあるのかと思う美味であった。
 生で食べた後は、いよいいくぎ煮だ。
 母が煮ている鍋を子どもたちは囲む。
「あんたたちは猫みたいだから、あっちへ行ってなさい」
 と母が言う。醤油の後に砂糖がどっさり入ってぐつぐつ煮えてくると、わたしたちは泥棒猫のようになって、素手で熱い奴をさっと摘んで食べて言った。
「味見、味見」
 それでいっぱしに注文をつけた。
「もう少し砂糖や」
 昭和二十年代の頃の話である。いかなごは瀬戸内海で山ほど獲れた夢のような時代である。町内にはくぎ煮作りの名人というのが必ずいた。その名人を上回る名人は、いかなご売りのおやじだった。
「夕べ煮たやつや」
 少しお酒を入れたもの。山椒が入ったもの。当時は高ったざらめで煮たもの。梅味もあった。弁当箱に入れたいろんな味。子どもにも試食させてくれた。試食と言っても一匹だけである。その一匹の何たるうまさ。
 おやじさんは毎年、一匹づつくれて、決まって言った。
「一匹の味。一匹やからありがたいんや」
〈三田完・特別審査委員長講評〉
70年前の貴重な記憶です。炭火で焼いて食べるイカナゴ…文章から香りを想像し、思わず唾を呑みこみました。そして、イカナゴを売る親父さんの渋い声音も文章から聞こえてくるようでした。
郵便局賞
エッセイ:くぎ煮弁当 中澤仁捷 さん(神奈川県・男性・89歳)
 それをいかなごのくぎ煮と知ったのは、それから随分たってからだった。
 私は農家の長男で、戦中の国民学校六年だった。その頃は農家でも一旦米を全部供出し、配給を受けていた時代で、学校への弁当は米に粟、黍の混ぜ合わせが普通で、況して、おかずは梅干、沢庵が定番であった。
 理由は定かでないが、ある時、弁当を隣の人と交換し、食べるようになり、私も隣の女の子と交換した。
 彼女は子爵か男爵かの家系のお嬢さんで、村に疎開していた子だった。
 交換した弁当を開けてびっくりした。白米に卵焼、いかなごのくぎ煮であった。尤もその時は、くぎ煮とは知るべくもなかったが、その美味に驚いた。
 それに引き換え、私の沢庵弁当を完食し、弁当箱を返した彼女の心根の優しさと感動を、今も脳裏に残している。
 それから間もなく終戦を迎え、東京に帰り、消息は絶えたが、七十余年過ぎた今も、いかなごのくぎ煮にを口にする度に、想い出が蘇ってくる。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
国民学校というからには80年近く前の思い出。作者は隣席の少女と交換した弁当で、くぎ煮の旨さを初めて知りました。あまたの歳月を経ても舌に残る記憶…─これもくぎ煮なればこそ。
特選(俳句)
俳句:いかなごの釘煮の匂ふ巫女溜 木村隆夫 さん(埼玉県・男性・72歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
舞台は神社の一角、巫女さんの控室でしょう。昼の弁当をつかったあとなのか、ほのかに釘煮の香が。神に仕える存在とくぎ煮の対照の妙が愉快。
特選(短歌)
短歌:五色塚の主いかなご待ちいわび古墳揺すりて海峡波打ち 三田広大 さん(兵庫県・男性・62歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
巨大な五色塚古墳に眠る主がイカナゴを待ちわびて古墳を揺する…壮大なスケールの歌です。最後を「波うつ」と終止形で止めれば、さらに格の大きな歌になったと思います。
特選(川柳)
川柳:姑が作ったくぎ煮に監視され 平穏 さん(岡山県・女性・39歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
核家族化が進み、嫁姑の軋轢(あつれき)は減ったように見えますが…。姑自慢のくぎ煮の蓋を開ければ、あ、たくさんの目が!
特選(詩)
詩:早春 三郎 さん(千葉県・男性・73歳)
「耳の汚い男は嫌い」
母の一周忌の深夜、仏間の箪笥が囁いた。

私の故郷では子供が生まれると桐の苗を植え、
死ぬときその木で棺を作る。
死期が迫ったとき、
「あの木で」と母は懇願したが、
製材が間に合わず出来合いの棺で済ました。
供養のつもりで、棺の代わりに箪笥を作った。

その箪笥から囁く声は、
十万億土とつながっていて、
そこでは在りし日(私が五歳頃のことだ)の母が、
早春の陽光が差す縁側で、
膝枕にした父の耳掃除をしている。

いかなご漁で魚の臭いがしみついた父の春。
大鍋でくぎ煮を炊く醤油の匂いのする母の春。

「耳の汚い男は嫌い」と囁かれ、
「そういうお前の耳はまるで桜貝だな」と、
父が額をこついた途端、真っ赤になった耳。

そんな母の耳も父の耳も、
いかなごや鰯や鯖と同様、
二人の故郷である、
夕焼けの美しい海が育てたのだろうと思う。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
冒頭の二行で魅了されました。たんすに浮き出た木目に、亡き父と母の記憶も染み込んでいます。くぎ煮の香りとともに。
特選(エッセイ)
エッセイ:私たちのゴール ゆんころ さん(埼玉県・女性・38歳)
 去年の春。市内でウクライナ避難民を受け入れることが発表された。どうやら市営団地の一角を住まいにあてると言う。
「もし困っていたら協力してほしい」
 市の職員は深々と頭を下げた。その言葉に突き動かされるように入居後イ、ンターホンを押した。すると中から民族衣装の「ソロチカ」を着た女性が現れる。
「コンニチハ。ナンデスカ」
 覚えたてのたどたどしい日本語。こちらも身振り手振りで「何かできることはないか」と伝える。
 すると「ニホンのリョウリを教えてほしい」と彼女。どうやら来月仲間たちとランチ食堂をオープンさせると言う。ちょうど春先とあってイカナゴ漁の時期。私はくぎ煮を教えることにした。
「さあ、始めましょう」
 ボルシチを作るホーロー鍋に調味料といかなごを入れてゆく。鍋を時々ゆすり、アクを取る表情も真剣だ。やがて彼女は徐ろに祖国の話をし始めた。どうやら現地はロシアからのガス供給がストップし、小麦も収穫できないという。先のことも心配だが、何より現地に残った家族が一番気がかりだと言う。
「ハヤクモドリタイ……」
 彼女は涙ながらに訴えた。その涙を見ながら、私も言葉がなかった。湯気に乗って届くくぎ煮の香りでは、彼女の暮らしを支えることも、穏やかな生活を取り戻すこともできない。ましてや戦争を終わらせることなんて。悔しくて。悲しくて。もどかしくて。ふたりで食べたくぎ煮は、最後、涙でひどくしょっぱくなった。
 あれから一年。おかげさまで彼女の食堂は軌道に乗り、連日ボルシチやヴァレーニキを求める人で賑わう。小鉢のくぎ煮も好評だ。一方、ウクライナでは依然として激しい戦闘が続く。お勝手に小麦もガスもある平和。その中でできることがきっとある。私たちの目標は戦争を終わらせることじゃない。その先にあるみんなの笑顔だ。今でもそう信じている。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
ウクライナから避難してきた女性と一緒に作るくぎ煮。イカナゴという小さな魚がこんなにも現代と地球を語ることができることに感心しました。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:青春も くぎ煮もすごく 密なので ほり・たく さん(千葉県・男性・50歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
2022年夏の甲子園で優勝した仙台育英高校の須江監督の言葉をモチーフにした作品。密がダメだダメだ、と言われ続けた苦しい状況。イカナゴを買う行列も密、漁も密な状態に戻ることを祈りたいです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:どうするは 家康よりも くぎ煮代 K・U さん(福島県・男性・64歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
「いかなご」が大変高価になり、どれくらいの量を炊くか、どなたに送るのか等、「どうする」と頭を悩ませた方が多いはず。家康の地元・駿河湾ではイカナゴ禁漁・漁獲ゼロが続いています。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:美しい 海が不漁に なる皮肉 ぷーちゃん さん(大阪府・女性・52歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
今までは「美しい海」を目指してきましたが、実はそれは栄養の乏しい海。今後は「豊かな海」を目指して努力を続けなければなりません。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:くぎ煮食べ 「ヤバい」「エモい」の 褒め言葉 SKかぴさん さん(神奈川県・男性・43歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
今どきの若者もくぎ煮をバクバク食べていることがイメージできる作品。もりもりくぎ煮を食べていただき、今後につなげていきたいです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
俳句:鮊子を茹で居る小屋の古ラジオ カンちゃん さん(愛媛県・男性・72歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
イカナゴの釜揚げの加工場のイメージでしょうか。古いラジオを鳴らしながら、年配の方が炊いている姿が目に浮かびます。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
俳句:くぎ煮盛る九谷の小皿春深し 伴あずさ さん(山梨県・女性・47歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
くぎ煮には、このお皿、といつしか決まっている。そのお宅では、その小皿自体が春をイメージするものになりますね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:くぎ煮炊く 母も我が家も 今は無く ただ季節だけ また巡り来る 中野弘樹 さん(埼玉県・男性・77歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
亡くなったお母様、取り壊されたご実家。くぎ煮を炊いている姿や匂い。毎年春、その記憶がくぎ煮とともに鮮やかに蘇ります。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:いかなごのくぎ煮見つめた亡き母の目尻の皺は永遠(とわ)のふるさと 井上靖 さん(神奈川県・男性・65歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
くぎ煮を炊くお母様の真剣なまなざし、そして目尻の皺。毎年春にくぎ煮とともに思い出される明確なイメージ自体がふるさとそのものですね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:いかなごの旨いかビールの旨いかは 分からないけど幸せそうだ ハリお さん(茨城県・男性・30歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
ごきげんにいかなごを食べながらビールを飲んでいる姿が目に浮かびます。そんなご家庭も多いのではないでしょうか。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
詩:明日のおにぎり 屋敷旺甫 さん(京都府・男性・51歳)
会社から家に帰ると
あたりまえのように
いつも母が晩酌している
あつあつの熱燗が
こちらにも匂ってくる
母は上機嫌で
くぎ煮をあてにしていた
ああそれは
わたし明日おにぎり
わたしは声にださずに
あきらめた
けっこうなくなってるわね
まあしょうがない
母は最近
認知症気味だから
まだ味がわかるうちに
たくさん食べてくれたほうが
いいのはいいけど
わたしも好物だし
わたしはそう思ったが
どこか納得できてなかった
ああ くぎ煮
明日のおにぎり
母は無邪気に
「これ、おいしいねー!」
とわたしに
からっぽになった容器をみせた
ああ くぎ煮くぎ煮
明日のおにぎり
やっぱり納得できてなかった
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
高価で貴重ないかなごの「くぎ煮」。高齢のお母様はそんな事情にはお構いなし。明日のおにぎりの具、今度は別の器に分けておかなければいけませんね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:朝のいかなごくぎ煮 山田和彦 さん(愛知県・男性・76歳)
 古希を迎えて六年が経過する。
 子供のころ、朝ご飯のおかずは味噌汁と決まっていた。時々、白菜の漬物も出されていたが、毎朝、味噌汁だけでは味気ない気がしていた。
「母さん、他におかず無いの?」
 父は隣で黙々と箸を動かしていたが、思い切って言ってみた。父は何も言わなかったが、母がこう言った。
「朝は味噌汁があれば十分じゃん」
 今でこそスーパーに行けば野菜に季節はないが、当時は味噌汁に入った野菜の具で季節を感じさせた。春は田んぼのセリ、夏は茄子や大根といった野菜が多かった。
「たまには他のおかずが食べたいよ」
 ある朝、母に言ってみた。
「しょうがないね。じゃあ今日だけ海苔を一枚あげるよ」
 そう言いながら、ブリキの缶から板海苔をと取り出し、皿の醤油を付けながら飯に包んで食べた記憶がある。
 ところがある朝、父が「忘れとったよ」と言って、カバンの中から丸い小さな桶のような物を取り出した。
 十文字に縛った桶の蓋を開け、小魚を口に入れて驚いた。口一杯に広がる甘辛い味が、早春の海で泳ぐ爽やかさを感じたからである。
 噛めば噛むほど旨味が増し、父も気に入ったのか、いかなごの釘煮を晩酌の肴として食べていた。あまり美味しそうに食べていたので、聞いてみた。
「こんな小魚のうちから食べて勿体ない。もっと大きくなって食べればいいのに」
 すると父が言った。
「これ以上大きくならないよ。この大きさで大人の魚だよ。だから旨味が身体一杯つまっている」
 今の私なら「皆、尾頭付きだから」と孫に言うだろう。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
長田地区では昔イカナゴの親魚「フルセ」をくぎ煮にしていました。おそらくそんな時代のエピソードですね。小さくても立派な成魚です。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:春が来た 後藤順 さん(岐阜県・男性・69歳)
 瀬戸内沿岸に住む漁夫の方から、イカナゴの新子がこの老人介護施設に届けられた。施設のスタッフたちは新子を笊に入れ、入所者たちに見せに回った。
 数時間前まで海を泳いでいた新子は、潮の香りに満ちている。認知症で寝たきりのサナエさんの部屋にも、春を呼ぶイカナゴがやってきた。天井をみつめ、寝たままのサナエさんの鼻先にそれをかざしたとき、「明石のうちに帰りたいわ」とのため息が漏れた。
 焦点の定まらない老女の目は、しばらく、ただ虚ろにぼんやりとスタッフの顔を眺めている。その目はゆっくりと瞬きすると、乾いた小さな穴の奥から清らかな水が湧き出るように、サナエさんの目に涙が浮かんだ。
「これ、調理のおばさんに頼んでくぎ煮にしようね」
 サナエさんの出身地では、春になると、各家庭でイカナゴのくぎ煮をする風習を、スタッフたちは彼女から聞かされていた。醤油、砂糖、しょうが、実山椒などで新子を煮詰めるくぎ煮は、各家庭によって味が違う。サナエさんはそれを母から教えられ、いつしか彼女独自の味が、夫や子供たちを喜ばせたらしい。
 ひとすじ、またひとすじと早苗さんの頬を伝ってこぼれ落ちるのは、多くの遠い記憶だろうか。サナエさんが一人暮らしになり、この施設に入所するまでのことを誰にも語ってはいない。ただ、くぎ煮だけは毎年作っていたという。
 神戸生まれの調理員さんが、すぐにくぎ煮を作ってサナエさんに見せた。甘い香りが部屋中にあふれた。サナエさんの顔が桜色に照り映えてきた。その様子に、スタッフから大きく「おおーっ」と声があがった。くぎ煮をサナエさんの口元に添えたが、老女は潤んだままの瞳を閉じ、いつものように眠ってしまった。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
老人介護施設のワンシーン。認知症で寝たきりの女性の記憶の中のくぎ煮。次に目覚めた時には是非味わっていただきたいですね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:帰っておいで 花びら一つ さん(兵庫県・女性・30歳)
「ごめんやけど、このくぎ煮食べたら、なんか元気出てきた」と電話越しの声。
「気づいてやれんくてごめん」 母は涙を堪えた。
 大学から電話が来たのは何でもない昼下がり。「元気にしよるよ」と言っていた息子。
 が、卒業を間近に控えて、ここ数週間、学校に顔を出さず、授業に一つも来ていないという。
「うちの息子に限って、授業無断で休むわけない」と納得が行かない母は、急いで息子のアパートへ向かった。「電話やあかん、会って話す他ないと」
「お、お母ちゃんか」 息子は髪もぼさぼさ、薄暗い部屋の隅でうずくまっていた。
「悪い、卒業出来へんくて」という息子を、ただ抱きしめた。
 この春、息子が帰ってくる。中退でも、就職はまだでも、息子は息子。もう一度外へと気が向く日まで気長に見守るつもりだ。「今は充電期間と思ったら、ちょうどええんやないか」と、珍しく夫も一言声を掛けた。どんな形であれ、子が巣立ったという安堵より、本当は寂しさを覚えるようになったここ数年。夫婦二人だけではめっきり会話も減り、暗い食卓だった。
 娘夫婦も赤ちゃんを連れて帰ってくる。まだビデオ通話だけで、孫に会うのは初対面だ。自分の強く育ったと思っていた娘も、慣れない育児と喋る人がおらず、孤独だったという。「これからはおせっかいなくらい電話やメールしよう」と心の中で決めた母。
 息子、娘夫婦、孫、夫、私。久しぶりの大人数の食卓。心が弾む。お菓子も一品増やそう。懐かしいカメラで写真でも撮ろうかと、夫。スマホやデジカメで写真が撮ることが増えて、アルバムのポケットは息子の高校の卒業式以来、まだ空いている。
「くぎ煮もうすぐ炊けるで待っとき」 旬のこの時期、我が家に新しい仲間を迎えての食事。
「ごはんおかわり」 息子の威勢のいい声と笑い声。ある小さな家族の一日は穏やかに流れる。「くぎ煮はやっぱり美味しいなぁ」と誰からでもなく呟く。心細くなったり、嫌なことがあったらいつでも帰っておいで。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
挫折を味わった息子さん。くぎ煮が元気をとりもどす一つのきっかけになるとうれしいですね。子供が元気でさえいればという親ごころを感じます。

ジュニア部門

グランプリ
詩:こっちを見てる まーしー さん(大阪府・女性・小1)
いかなごをたべるとき
いつもだれかに見られてる
おかあさんは
そんなこといわずにはよたべやーって
いうけど
なんかドキドキするねん
おちゃわんの中をみたら
いかなごがこっちをみてた
いかなごにみられてた
大じょうぶ
おいしいからぜーんぶたべるで
おなかの中でまたおよいでね
〈三田完・特別審査委員長講評〉
小学校1年生の目に映るいかなごのくぎ煮。わたしも見てる。くぎ煮もこっちを見てる。お母さんとの会話も楽しいですね。
準グランプリ
川柳:米を炊く くぎ煮を食べる そのために Pinata さん(大阪府・女性・高1)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
くぎ煮があれば、ほかのおかずは何も要らない…そうです、高1女子がこう言い切るのですから、くぎ煮は極上無比のおかずなのです。
特選
短歌:芳しく 輝く琥珀 花見月 箸は止まらず いかなごと知る 白川愛姫 さん(東京都・女性・高2)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
「輝く琥珀」という表現が美しく、歌に格を醸し出しました。イカナゴも満足なことでしょう。
特選
川柳:ばあちゃんの くぎ煮欲しさに 筆握る ゴー さん(東京都・男性・中2)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
お祖母ちゃんの作るくぎ煮は天下一品。だからこそ、ふだんは書かない手紙を書いて、おねだりします。お祖母ちゃんはまんまと大喜び。
特選
詩:いかなごのくぎに 北島彩羽 さん(広島県・女性・小1)
こうべのおばちゃんが
いかなごのくぎにをつくってくれたよ
とおばあちゃんがいった
ねぇ ねぇ おばあちゃん いかなごのくぎにってなあに?
かたいくぎに にているの?
それって おいしいの?
おばあちゃんはわらっていた
みたら わかるよって
たっきゅうびんがとどいて
よる いかなごのくぎにを はじめてみた
たしかに みたら わかったよ!
さびたくぎが曲がってるようにみえた
そうか だからくぎになんだと思った!
おいしそうにみえなかった
みんなが 白ごはんにかけておいしそうにたべてるから
わたしもたべられるかなって思って
ちょっと たべてみた
あまくて とてもおいしかった
いかなごたちが口の中で おどってた
まるで おれたち ずいぶん おいしくなっただろう?っていっているみたい
もう一回たべてみた
おいしーい おいしすぎるー!
これならごはんをいっぱいたべられるぞ

おにいちゃんもお父さんももりもりたべていた
みんなえがおになった
みんなしあわせになった

いかなごのくぎにが大すきになったよ!
こうべのおばちゃん ありがとうございます
〈三田完・特別審査委員長講評〉
神戸のおばちゃんのお陰でくぎ煮が大好きになった。家族みんなが笑顔になった。小1の力作です。
特選
エッセイ:上品な話 枝松航太朗 さん(神奈川県・男性・高1)
 茶色の物を見ると、形状や大小に関わらず、うんちみたいだな、と思ってしまう癖がある。その癖がついたのは、おそらく瀬戸内に住む祖母がよく出してくれるいかなごのくぎ煮のせいである。
 3歳の頃の僕はそれを見て「うんちみたい」と言ってしまい、母親に叱られたのを、幼いながらも記憶に焼き付けようとしたらしい。そして、今年で16歳になる僕は、目の前に出ているくぎ煮を見て「うんちみたい」と未だに心の中で思うのだ。
 この癖の悪い所は、茶色の物全般に対して悪い印象を持ってしまうと言う所だ。好きだった子の首筋にあったホクロも、母の意向で飼い始めたチワワも、ぜんぶ茶色をしていて、好きになれなかった。もちろん、その先入観は僻見や誤解ばかりであることはわかっているのだが、幼少期に刻んだ記憶というのは、自分の思考に多大な影響を及ぼすらしい。
「それじゃ、食べよ」
 母の声を合図に、いただきます、と手を合わせる。何から食べようかな、と迷うことはない。真っ先に手をつけるのはくぎ煮だ。小さな瓶に入ったそれを箸の手持ち部分を使って取り出し、炊き立てのご飯の上に乗せる。
 そして口へ運ぶ。ほく、ほく、ほく。小さく口を開け熱気を逃す。あつい、あつい。でも、美味しい。もちろんくぎ煮自体とても美味しいのだが、炊き立てのご飯と一緒に食べる事で美味しさが爆上げするのだ。うんちみたいなコイツらは死んでるはずなのに、口に入れると急に命を宿らせて踊り出すのだ。噛めば噛むほど口の中で上品に踊り、でも、うんちぐらいの下品さで心をくすぐってくるのだ。
「ご飯食べたら、帰るのかい?」
「そうだね、明日からまた部活始まるし」
「そうかい、じゃあ少し残しておいて、あとはタッパに入れて持って帰りなさい」
 そう言って、祖母は台所からタッパと新しい箸を持ってきて詰め込む。
「ありがとう」
 タッパに入ったそれをみる。うんちみたいな色してるな、と改めて僕は思った。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
「上品な話」と題して、いきなりウンチとは…。でも、いかなごのくぎ煮への愛に満ちた一文です。

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