第13回 いかなごのくぎ煮文学賞入賞作品
グランプリ
川柳:異次元の 不漁に負けず 炊くくぎ煮
熊五郎 さん(福岡県・男性・71歳)
準グランプリ
短歌:いかなごの解禁日来ず大阪の海を見つめる白髪の漁師
熊猫太夫 さん(福岡県・男性・62歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
今春、大阪湾ではイカナゴ漁が自主休業となりました。長いあいだつづけてきた営みができない哀しさや悔しさ……そんな思いが、情緒的な言葉ではなく、老漁師の視線という抑えた表現からしみじみと伝わります。
今春、大阪湾ではイカナゴ漁が自主休業となりました。長いあいだつづけてきた営みができない哀しさや悔しさ……そんな思いが、情緒的な言葉ではなく、老漁師の視線という抑えた表現からしみじみと伝わります。
郵便局賞
短歌:控えめに出したくぎ煮が本当は 自信作なの 上達したの
田曽真由美 さん(千葉県・女性・40歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
見よう見まねで炊きはじめたころから、いつも控えめな態度で食卓に運んでいたくぎ煮。今年は、自分でも合格点に達したような気がする。でも、自分では「美味しくできたわよ」などと口にしない。ふふふ、あくまでも控えめに控えめに。
見よう見まねで炊きはじめたころから、いつも控えめな態度で食卓に運んでいたくぎ煮。今年は、自分でも合格点に達したような気がする。でも、自分では「美味しくできたわよ」などと口にしない。ふふふ、あくまでも控えめに控えめに。
特選(俳句)
俳句:いかなごのくぎ煮凝視のお食い初め
浅野恵子 さん(神奈川県・女性・52歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
生後100日のころおこなわれる赤ちゃんのお食い初め、たまたま食卓に大人たちが食べるくぎ煮があったのでしょうか。それをじっと見つめる赤ちゃん、将来が楽しみですね。
生後100日のころおこなわれる赤ちゃんのお食い初め、たまたま食卓に大人たちが食べるくぎ煮があったのでしょうか。それをじっと見つめる赤ちゃん、将来が楽しみですね。
特選(短歌)
短歌:来ぬ人の松帆の浦を尋ぬれば藻塩は焼かでいかなごを炊く
小竹哲 さん(兵庫県・男性・60歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
百人一首に藤原定家の恋歌「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」を踏まえた本歌取りです。製塩の盛んだった淡路島松帆の浦でくぎ煮を炊く香りを想いつつ……。
百人一首に藤原定家の恋歌「来ぬ人を松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の身もこがれつつ」を踏まえた本歌取りです。製塩の盛んだった淡路島松帆の浦でくぎ煮を炊く香りを想いつつ……。
特選(川柳)
川柳:ご安心 はいってますよ おにぎりに
盟主クサイ さん(鹿児島県・男性・42歳)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
英国でも大受けした「安心してください、はいてますよ」のギャグを反映した一句。「くぎ煮」という言葉を用いずとも、なるほどと笑えます。本文学賞ならではの傑作では。
英国でも大受けした「安心してください、はいてますよ」のギャグを反映した一句。「くぎ煮」という言葉を用いずとも、なるほどと笑えます。本文学賞ならではの傑作では。
特選(詩)
詩:夜の冷蔵庫
橋本麻美 さん(熊本県・女性・35歳)
夜の冷蔵庫が唸っている
台所の片隅で
祖父の好物のいかなごの釘煮が
まだ残っているだろう
祖父はもういないから
痛みに苦しむ夜はないのに
冷蔵庫が唸っている
今日はそれがよく聞こえる
あーちゃん食べてごらんと言って
お酒くさい息を吐いていた
元気だったころの祖父が蘇る
醤油と砂糖と生姜の味
甘いような
辛いような
大人の複雑な味がした
冷蔵庫がうるさくて
みんななかなか眠らない
ぽつりぽつりと集まって
夜はまだまだ続いていく
真っ直ぐだった腰が曲がって
見た目もおじいちゃんなのに
初対面の人にそう呼ばれると
不機嫌になった祖父
悲しい夜でもすこしだけ
笑いが起こる
お茶でも飲もうかと母が言う
熱いお茶と
いかなごの釘煮
甘いような
辛いような
今日はほんのすこしだけ
しょっぱいような味もする
台所の片隅で
祖父の好物のいかなごの釘煮が
まだ残っているだろう
祖父はもういないから
痛みに苦しむ夜はないのに
冷蔵庫が唸っている
今日はそれがよく聞こえる
あーちゃん食べてごらんと言って
お酒くさい息を吐いていた
元気だったころの祖父が蘇る
醤油と砂糖と生姜の味
甘いような
辛いような
大人の複雑な味がした
冷蔵庫がうるさくて
みんななかなか眠らない
ぽつりぽつりと集まって
夜はまだまだ続いていく
真っ直ぐだった腰が曲がって
見た目もおじいちゃんなのに
初対面の人にそう呼ばれると
不機嫌になった祖父
悲しい夜でもすこしだけ
笑いが起こる
お茶でも飲もうかと母が言う
熱いお茶と
いかなごの釘煮
甘いような
辛いような
今日はほんのすこしだけ
しょっぱいような味もする
〈三田完・特別審査委員長講評〉
静まった夜、冷蔵庫のサーモスタットが作用して低いモーター音が響く。とともに、亡き祖父の記憶も 。無機的な機械音と、祖父の人生やくぎ煮の風味が響き合い、質感のある詩が生まれました。
静まった夜、冷蔵庫のサーモスタットが作用して低いモーター音が響く。とともに、亡き祖父の記憶も 。無機的な機械音と、祖父の人生やくぎ煮の風味が響き合い、質感のある詩が生まれました。
特選(エッセイ)
エッセイ:白い釘煮
出雲遙 さん(大阪府・男性・61歳)
白いイカナゴの釘煮に感動したことがある。あれは29年前の阪神淡路大震災の時だ。
私は発災と同時に他府県から派遣された警察官だった。大火と倒壊の多さから、任務地の神戸市にはなかなか辿り着けなかったが、機動隊バスの車窓から眼にした惨状は、テレビ映像より数倍も悲惨だ。到着した現地の警察署で指示されたのは、倒壊した家屋を三人ひと組で検索し、住民の安否確認を行うことで、不眠不休の活動が始まった。
後の東日本大震災のような洗練された装備資機材はなく、バール一本だけが頼りの困難な捜索活動だったが、不慣れな地理は地元住民の方に尋ねて、捜索範囲を広げていった。
果てしなく続く任務に疲労困憊になったが、愚痴はいえない。食料は乾パンと水だけだが、困っている被災者に見えない瓦礫の陰で立ったままで摂った。
現地では倒壊家屋の木切れを燃やして炊き出しをしていたが、そんな私達を見かねた住民のお婆ちゃんが、ラップに包んだ熱々の塩結びとタッパーに入った白い佃煮を差し出した。
固辞する私達にお婆ちゃんが言うには、タッパーの中身は冷凍のイカナゴを釘煮にしたものだが、地震で醤油の瓶が割れてしまい、仕方なく砂糖と生姜だけで味付けしたという。そんな大切な釘煮とお握りを口には出来きませんよ、と私達は再び固辞したが、お婆ちゃんは微笑んで、「あんたら、気ぃ遣って立ったまま乾パン齧ってたやんか。温ったかいもん食べ。助けに来てくれた人らを粗末にできるかいな」と言った。
寒風の中で塩結びの上に白い釘煮を乗せて頬張った。釘煮の砂糖と生姜の甘辛さは、お結びの塩味と絶妙にマッチしていて、感動すら憶えた。そして夢中で食べる私達をお婆ちゃんは満足そうに笑って見ていた。
醤油を使ったノーマルな釘煮は大好きだ。だが、被災地の寒風の中で食べた白い釘煮の味は忘れることができない。それはきっと生姜と塩だけではない。優しい人の心の味を釘煮に足したからだと今でも思っている。
私は発災と同時に他府県から派遣された警察官だった。大火と倒壊の多さから、任務地の神戸市にはなかなか辿り着けなかったが、機動隊バスの車窓から眼にした惨状は、テレビ映像より数倍も悲惨だ。到着した現地の警察署で指示されたのは、倒壊した家屋を三人ひと組で検索し、住民の安否確認を行うことで、不眠不休の活動が始まった。
後の東日本大震災のような洗練された装備資機材はなく、バール一本だけが頼りの困難な捜索活動だったが、不慣れな地理は地元住民の方に尋ねて、捜索範囲を広げていった。
果てしなく続く任務に疲労困憊になったが、愚痴はいえない。食料は乾パンと水だけだが、困っている被災者に見えない瓦礫の陰で立ったままで摂った。
現地では倒壊家屋の木切れを燃やして炊き出しをしていたが、そんな私達を見かねた住民のお婆ちゃんが、ラップに包んだ熱々の塩結びとタッパーに入った白い佃煮を差し出した。
固辞する私達にお婆ちゃんが言うには、タッパーの中身は冷凍のイカナゴを釘煮にしたものだが、地震で醤油の瓶が割れてしまい、仕方なく砂糖と生姜だけで味付けしたという。そんな大切な釘煮とお握りを口には出来きませんよ、と私達は再び固辞したが、お婆ちゃんは微笑んで、「あんたら、気ぃ遣って立ったまま乾パン齧ってたやんか。温ったかいもん食べ。助けに来てくれた人らを粗末にできるかいな」と言った。
寒風の中で塩結びの上に白い釘煮を乗せて頬張った。釘煮の砂糖と生姜の甘辛さは、お結びの塩味と絶妙にマッチしていて、感動すら憶えた。そして夢中で食べる私達をお婆ちゃんは満足そうに笑って見ていた。
醤油を使ったノーマルな釘煮は大好きだ。だが、被災地の寒風の中で食べた白い釘煮の味は忘れることができない。それはきっと生姜と塩だけではない。優しい人の心の味を釘煮に足したからだと今でも思っている。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
白いくぎ煮とは、はて面妖な。しかし、それは作者が阪神大震災で救助活動にあたったとき、胸に深く刻まれた記憶でした。実体験の重みに圧倒される一篇。
白いくぎ煮とは、はて面妖な。しかし、それは作者が阪神大震災で救助活動にあたったとき、胸に深く刻まれた記憶でした。実体験の重みに圧倒される一篇。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
エッセイ:三月のイベントと言えば…
花原和之 さん(岩手県・男性・59歳)
それは前世紀末頃、大阪から神戸への転勤の際、家賃を考えて明石に住むことになった時のことである。新しい職場で、私はバレンタインデーにいくつか贈り物を頂いてしまった。当時の私はまだ独身ではあったが、西明石駅に掲示されていた次のような貼り紙
義理と人情を秤にかけりゃ
義理も重たい
バレンタイン・デー
に深く首肯していた身である。特にロマンチックな展開などは期待してはいなかったし、実際そうであった。
しかし、そんな身であっても、三月になると十四日のホワイトデーなるものを気にしないわけにはいかない。お返しの義理もやはりまた重たいものなのであった。
そのように思い悩む日々を送っていたとき、行きつけのスーパーにホワイトデーのコーナーよりも大きなくぎ煮関連商品のコーナーが出現していた。それは明石に住む前には見たことがなかったものであった。そこにはいかなごの新子のみならず、くぎ煮材料一式、さらには作り方を書いたチラシまでもが準備されていた…。
くぎ煮は明石に住むことになった時に食べて気に入っていた。明石の名物(の一つ)と言ってもいいであろう。これはアリかも知れない、と私は思った。バレンタインにもらったチョコが手作りだったというわけではないが、ホワイトデーに手作りのくぎ煮をお返しにして何か悪いわけがあるだろうか。(いや、ない!)
そこで私はくぎ煮を作ることにした。お返し用として、そして(もちろん!)自分用として…。
自分で作ったくぎ煮は普通に美味しくできていた、と思う。(場合によってはお菓子等も追加して)お返しに贈った方々にも喜ばれていたようだ。少なくとも表面的には。
翌年からはホワイトデーのお返しの苦労は少なくなったように思う。しかし、とにかく明石に住んでいた六年間は、三月のイベントと言えばホワイトデーよりもくぎ煮だったのである。
義理と人情を秤にかけりゃ
義理も重たい
バレンタイン・デー
に深く首肯していた身である。特にロマンチックな展開などは期待してはいなかったし、実際そうであった。
しかし、そんな身であっても、三月になると十四日のホワイトデーなるものを気にしないわけにはいかない。お返しの義理もやはりまた重たいものなのであった。
そのように思い悩む日々を送っていたとき、行きつけのスーパーにホワイトデーのコーナーよりも大きなくぎ煮関連商品のコーナーが出現していた。それは明石に住む前には見たことがなかったものであった。そこにはいかなごの新子のみならず、くぎ煮材料一式、さらには作り方を書いたチラシまでもが準備されていた…。
くぎ煮は明石に住むことになった時に食べて気に入っていた。明石の名物(の一つ)と言ってもいいであろう。これはアリかも知れない、と私は思った。バレンタインにもらったチョコが手作りだったというわけではないが、ホワイトデーに手作りのくぎ煮をお返しにして何か悪いわけがあるだろうか。(いや、ない!)
そこで私はくぎ煮を作ることにした。お返し用として、そして(もちろん!)自分用として…。
自分で作ったくぎ煮は普通に美味しくできていた、と思う。(場合によってはお菓子等も追加して)お返しに贈った方々にも喜ばれていたようだ。少なくとも表面的には。
翌年からはホワイトデーのお返しの苦労は少なくなったように思う。しかし、とにかく明石に住んでいた六年間は、三月のイベントと言えばホワイトデーよりもくぎ煮だったのである。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
バレンタインのお返しに自分で作った「くぎ煮」を。とても良いアイデアですね。最近は義理チョコを贈る人も減ってきたようですが、漁が回復したら、そういう使い方提案もできそうです。
バレンタインのお返しに自分で作った「くぎ煮」を。とても良いアイデアですね。最近は義理チョコを贈る人も減ってきたようですが、漁が回復したら、そういう使い方提案もできそうです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
エッセイ:くぎ煮の使い方
井上 裕さん(兵庫県・男性・37歳)
おばあさんはその年代の女性には珍しく、長いこと働きに出ていた。そのせいか料理はあまり得意でなく、日常の食卓でも「買ってきたもんの方がおいしいからな」と口癖のように言い、スーパーの総菜を食べることが多かった。強がりのようだが、おばあさんが近所の人からおすそ分けの料理を貰った後、陰でボロクソに貶していたこともあるので、本当に舌が肥えていたのかもしれない。
僕が実家に行った際も、ピザを取ったり、外食に連れて行ったりという感じで、親の料理や郷土の味の有難みを当然理解していなかった僕は、ただ単に「ラッキー」と思っていた。
やがて僕が東京の大学に入った後、2年に進級する前の春休みにおばあさんから小包が届いた。しかも、くぎ煮入りを示すシールが貼られている。達筆すぎて読みにくい手紙の文字をたどっていくと、「妹が毎年送ってくるので、私も一度作ってみようと思いました」とある。
おばあさんも一人暮らしで暇だろうから、そんな気にもなるのかなと思いながら味見をしてみると、普通においしい。2パックも入っていたから、せっかくなので、学食でゼミの集まりがある時に持っていくことにした。
友人たちには見知らぬご飯のお供だったが、すんなりと気に入ってくれ、くぎ煮1パックはあっという間になくなった。すると今度は自作のスパイスカレーを持ってくる人も出てきたりして、ご飯を持ち寄るブームが少し続いた。
くぎ煮は翌年も届き、今度はレモン汁を入れたと解説があった。もちろんおいしい。すかさず持っていくと、皆にすぐに平らげられてしまった。その時に後輩の1人が、
「兵庫に帰ってこい、っていうプレッシャーを感じる味ですね」とボソッと言った。
急に背中にピュッと風が吹いた気がした。あのおばあさんのことだ、そんな狙いを秘めてくぎ煮を送ってきてもおかしくないと思った。
くぎ煮が効いたわけではないと思いたいが、晴れて僕は兵庫で就職した。そして社会人1年目が終わるころに、おばあさんは「しんどくなった」と言ってくぎ煮を作るのをやめた。
僕が実家に行った際も、ピザを取ったり、外食に連れて行ったりという感じで、親の料理や郷土の味の有難みを当然理解していなかった僕は、ただ単に「ラッキー」と思っていた。
やがて僕が東京の大学に入った後、2年に進級する前の春休みにおばあさんから小包が届いた。しかも、くぎ煮入りを示すシールが貼られている。達筆すぎて読みにくい手紙の文字をたどっていくと、「妹が毎年送ってくるので、私も一度作ってみようと思いました」とある。
おばあさんも一人暮らしで暇だろうから、そんな気にもなるのかなと思いながら味見をしてみると、普通においしい。2パックも入っていたから、せっかくなので、学食でゼミの集まりがある時に持っていくことにした。
友人たちには見知らぬご飯のお供だったが、すんなりと気に入ってくれ、くぎ煮1パックはあっという間になくなった。すると今度は自作のスパイスカレーを持ってくる人も出てきたりして、ご飯を持ち寄るブームが少し続いた。
くぎ煮は翌年も届き、今度はレモン汁を入れたと解説があった。もちろんおいしい。すかさず持っていくと、皆にすぐに平らげられてしまった。その時に後輩の1人が、
「兵庫に帰ってこい、っていうプレッシャーを感じる味ですね」とボソッと言った。
急に背中にピュッと風が吹いた気がした。あのおばあさんのことだ、そんな狙いを秘めてくぎ煮を送ってきてもおかしくないと思った。
くぎ煮が効いたわけではないと思いたいが、晴れて僕は兵庫で就職した。そして社会人1年目が終わるころに、おばあさんは「しんどくなった」と言ってくぎ煮を作るのをやめた。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
孫にふるさと兵庫を思い出してもらうために炊く「くぎ煮」。本当にそういう意図があったのか、とても気になりますね。余韻の残る作品です。
孫にふるさと兵庫を思い出してもらうために炊く「くぎ煮」。本当にそういう意図があったのか、とても気になりますね。余韻の残る作品です。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
エッセイ:私の食べてる魚の9割はイカナゴ
良かなご さん(三重県・男性・高2)
応募条件「イカナゴのくぎ煮」に思い入れのある方? 思い入れなんて、この短文じゃまったく語りきれないほどあります。いや、しかし、語ってみせましょう。
もし、私と言う人物の項目が情報サイトに作られたら、その過半数の内容がイカナゴに関することで埋まるでしょう。誇張無しで魚料理に於いては、もうトップオブトップ。私の座右の銘は、たぶんくぎ煮。
残念ながら、今は引っ越して違う地域ですが、小さい頃は時期になると、毎日のように飽きるまで喰らっていました。飽きることはないので、永遠に喰らってたかもしれません。延々にじゃなく、永遠にです。本当にそれくらい好き、いや愛してる。
何が好きかって言葉にするのは難しいくらいに好きです、生姜の香りも、甘辛い味も、黒々と照りのある見た目も、全部良い。良すぎて逆に良い。3周まわっても良い。
稀に、「それ、ちりめんじゃこと一緒じゃね?」なんて妄言をおっしゃる方は居ますが、ぜんぜん違います。そもそも、じゃこは鰯の稚魚で、イカナゴはスズキ目のイカナゴですし。食感も味も、もう何から何までぜんぜん違うので。
なんて、あれこれそれこれ、いかなご文を書いていますと、無性に食べたくなってきまして。
今から買いに行くので、ここらで締めくくろうと思います。
想いを伝える事を優先して、文の内容は散漫として、大変お目汚しな駄文となってしまい、申し訳ありません、ですが。
私のことは嫌いになっても、何卒イカナゴのくぎ煮のことは嫌いにならないでください。
もし、私と言う人物の項目が情報サイトに作られたら、その過半数の内容がイカナゴに関することで埋まるでしょう。誇張無しで魚料理に於いては、もうトップオブトップ。私の座右の銘は、たぶんくぎ煮。
残念ながら、今は引っ越して違う地域ですが、小さい頃は時期になると、毎日のように飽きるまで喰らっていました。飽きることはないので、永遠に喰らってたかもしれません。延々にじゃなく、永遠にです。本当にそれくらい好き、いや愛してる。
何が好きかって言葉にするのは難しいくらいに好きです、生姜の香りも、甘辛い味も、黒々と照りのある見た目も、全部良い。良すぎて逆に良い。3周まわっても良い。
稀に、「それ、ちりめんじゃこと一緒じゃね?」なんて妄言をおっしゃる方は居ますが、ぜんぜん違います。そもそも、じゃこは鰯の稚魚で、イカナゴはスズキ目のイカナゴですし。食感も味も、もう何から何までぜんぜん違うので。
なんて、あれこれそれこれ、いかなご文を書いていますと、無性に食べたくなってきまして。
今から買いに行くので、ここらで締めくくろうと思います。
想いを伝える事を優先して、文の内容は散漫として、大変お目汚しな駄文となってしまい、申し訳ありません、ですが。
私のことは嫌いになっても、何卒イカナゴのくぎ煮のことは嫌いにならないでください。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
「いかなごのくぎ煮」への思い入れのある方、という本文学賞の応募条件に忠実にいかなご愛を語っていただいた高校2年生。「買いに行く」とのことでしたが、手に入りましたでしょうか?
「いかなごのくぎ煮」への思い入れのある方、という本文学賞の応募条件に忠実にいかなご愛を語っていただいた高校2年生。「買いに行く」とのことでしたが、手に入りましたでしょうか?
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
エッセイ:早春の想い
春野 海 さん(東京都・女性・52歳)
「くぎ煮」が瀬戸内の春の味だと知ったのは、郷里を離れてからだった。
甘辛く艶のあるくぎ煮は、母が大鍋で作って毎日お弁当に当たり前に入っていた。食べる側の気ままで、いかなごの大きさや仕上がりには好みがある。私は大きすぎず小さすぎない、ちょっと細身で水飴を入れて少し固めに仕上げたのが好きだ。打ち損じた針釘のようであれば最高。
十八で上京してからは、母親が春にくぎ煮を送ってくれるようになり、くぎ煮がどこでも手に入るわけではないことを知った。母のくぎ煮は、目分量の上に気分で作り方を変えるものだから、毎年仕上がりが違う。
そしてお礼に電話をかければ、母の話は長い。手に入れるのにどこそこの魚屋をはしごしたやら、今年は(買おうとしたら)「もう大きなってしもて」やら、「水あめ入れへんかったら、やっぱりあかんか」など、嬉しそうに大仕事を報告する。いつも延々と続く誰それの消息話には閉口するが、くぎ煮の苦労話は苦にならない。自転車でいかなごを買い集めて鍋で炊く母を思い、心から有り難いと思う。
初めて就職した小さな町を離れた春、お世話になった大事な方々に渡したい、と母親にくぎ煮を依頼した。母は大張り切り、数年で一番の出来だった。光が眩しくなり始めた三月、黄色いフリージア畑の香りを嗅ぎながら、ぎっしりつまったくぎ煮のパックを配って回った。
「あの佃煮はうまかった」と声をかけられる度に誇らしくなった。何度も繰り返す。「ありがとうございます。くぎ煮といいます。瀬戸内の春の味なのです」 私にとってくぎ煮は、早春の明るさと切なさが入り混じっている。
あの頃からずい分経った。年毎にいかなごの値段は上がり、獲れにくくなった。母も高齢で料理ができなくなった。今年は郷里に残った妹が物産展で買ったというくぎ煮が届いた。ちょっぴりしか入っていないパック、艶がもう少し欲しいなあ、などと思いながら、懐かしく、有り難くいただく。
今年も春が来た。
甘辛く艶のあるくぎ煮は、母が大鍋で作って毎日お弁当に当たり前に入っていた。食べる側の気ままで、いかなごの大きさや仕上がりには好みがある。私は大きすぎず小さすぎない、ちょっと細身で水飴を入れて少し固めに仕上げたのが好きだ。打ち損じた針釘のようであれば最高。
十八で上京してからは、母親が春にくぎ煮を送ってくれるようになり、くぎ煮がどこでも手に入るわけではないことを知った。母のくぎ煮は、目分量の上に気分で作り方を変えるものだから、毎年仕上がりが違う。
そしてお礼に電話をかければ、母の話は長い。手に入れるのにどこそこの魚屋をはしごしたやら、今年は(買おうとしたら)「もう大きなってしもて」やら、「水あめ入れへんかったら、やっぱりあかんか」など、嬉しそうに大仕事を報告する。いつも延々と続く誰それの消息話には閉口するが、くぎ煮の苦労話は苦にならない。自転車でいかなごを買い集めて鍋で炊く母を思い、心から有り難いと思う。
初めて就職した小さな町を離れた春、お世話になった大事な方々に渡したい、と母親にくぎ煮を依頼した。母は大張り切り、数年で一番の出来だった。光が眩しくなり始めた三月、黄色いフリージア畑の香りを嗅ぎながら、ぎっしりつまったくぎ煮のパックを配って回った。
「あの佃煮はうまかった」と声をかけられる度に誇らしくなった。何度も繰り返す。「ありがとうございます。くぎ煮といいます。瀬戸内の春の味なのです」 私にとってくぎ煮は、早春の明るさと切なさが入り混じっている。
あの頃からずい分経った。年毎にいかなごの値段は上がり、獲れにくくなった。母も高齢で料理ができなくなった。今年は郷里に残った妹が物産展で買ったというくぎ煮が届いた。ちょっぴりしか入っていないパック、艶がもう少し欲しいなあ、などと思いながら、懐かしく、有り難くいただく。
今年も春が来た。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
思い出の中にある「くぎ煮」の存在。いかなご漁やくぎ煮で盛り上がる時期は、出会いと別れのシーズンでもありますね。
思い出の中にある「くぎ煮」の存在。いかなご漁やくぎ煮で盛り上がる時期は、出会いと別れのシーズンでもありますね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
エッセイ:食卓の錬金術師
もぎうめの さん(岡山県・女性・20歳)
二年間のハンガリー生活を終え、日本に帰ってきた私が真っ先に食べたのはもちろん、いかなごのくぎ煮ご飯だ。
ハンガリーは内陸国ということもあり、スーパーに鮮魚コーナーがあるなんて夢のまた夢で、魚食系日本人からすれば、食卓の死刑宣告を受けたようなものだった。では、どうやって私がこの二年間、いかなごのいの字もない場所で生き残ることができたのかを紹介しよう。
まず、調味料を揃えることから始めた。生姜は万国共通で、醤油とみりんは少し割高だが近所のアジアンスーパーで手に入り、ザラメの代わりはコーヒー用の角砂糖を使用。そして最も肝心ないかなごの代打は、なぜかいつも加工肉コーナーの即席ハンバーガーと即席ホットドッグの間に控えめに座っている、そう海老である。なぜ海老なのか。それは海老しかなかったからだが、意外にもこれが上手くいった。
あのいかなごの代名詞であるグニグニ感を、細切りにした海老の肉厚が上手く再現してくれた。あとはもう、いかなごモドキに姿を変えた海老を炒めて調味料と煮れば、ボアラ、釘色の佃煮の出来上がり。これがヨーロッパ仕込みの錬金術がなす業である。
これを現地でも手に入る白米のうえに乗せて食べる。だが、実はここで終わりではない。私の食に対する大和魂は治まりを知らず、そこでまた新な欲望が芽生えた。生卵の登場である。海外で卵を生で食べるのは命知らずと言われ、実際、一週間寝込んだことのある現地の日本人を知っているが、私はこれまで10回以上試して一度もあたったことがない。もしやこれはいかなごの神様のご加護ではないか、と疑っても仕方がない。
そんなこんなで、卵かけいかなごモドキくぎ煮ご飯、略してTKGのおかげでここまでやってこれたわけだ。そして待ちに待った里帰り。春とともにやってきたいかなごが私を出迎えてくれた。
身に染みるこの味、やはり、卑金属はとうてい貴金属にはなりえなかった。
ハンガリーは内陸国ということもあり、スーパーに鮮魚コーナーがあるなんて夢のまた夢で、魚食系日本人からすれば、食卓の死刑宣告を受けたようなものだった。では、どうやって私がこの二年間、いかなごのいの字もない場所で生き残ることができたのかを紹介しよう。
まず、調味料を揃えることから始めた。生姜は万国共通で、醤油とみりんは少し割高だが近所のアジアンスーパーで手に入り、ザラメの代わりはコーヒー用の角砂糖を使用。そして最も肝心ないかなごの代打は、なぜかいつも加工肉コーナーの即席ハンバーガーと即席ホットドッグの間に控えめに座っている、そう海老である。なぜ海老なのか。それは海老しかなかったからだが、意外にもこれが上手くいった。
あのいかなごの代名詞であるグニグニ感を、細切りにした海老の肉厚が上手く再現してくれた。あとはもう、いかなごモドキに姿を変えた海老を炒めて調味料と煮れば、ボアラ、釘色の佃煮の出来上がり。これがヨーロッパ仕込みの錬金術がなす業である。
これを現地でも手に入る白米のうえに乗せて食べる。だが、実はここで終わりではない。私の食に対する大和魂は治まりを知らず、そこでまた新な欲望が芽生えた。生卵の登場である。海外で卵を生で食べるのは命知らずと言われ、実際、一週間寝込んだことのある現地の日本人を知っているが、私はこれまで10回以上試して一度もあたったことがない。もしやこれはいかなごの神様のご加護ではないか、と疑っても仕方がない。
そんなこんなで、卵かけいかなごモドキくぎ煮ご飯、略してTKGのおかげでここまでやってこれたわけだ。そして待ちに待った里帰り。春とともにやってきたいかなごが私を出迎えてくれた。
身に染みるこの味、やはり、卑金属はとうてい貴金属にはなりえなかった。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
作者がハンガリーで作ったくぎ煮の代用品。どんな食感・味だったのかとても気になります。今の漁の状況を見ると、日本でもくぎ煮の代用品を考える必要がありそうです。
作者がハンガリーで作ったくぎ煮の代用品。どんな食感・味だったのかとても気になります。今の漁の状況を見ると、日本でもくぎ煮の代用品を考える必要がありそうです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
詩:俺の一升
かげろう さん(東京都・男性・40歳)
佃煮の会社に就職して二十年。
試作のたびにくぎ煮を一升炊く。
山椒入り。生姜入り。
梅風味。
その数なんと二十回以上。
うまくいかない日も
心が折れそうな日も
もちろん、ある。
でもくぎ煮は曲がれど
信念は曲げない。
めざすは母の炊いてくれた、
あのやさしい味。
くぎ煮で幸せになれた人間は
くぎ煮で人を幸せにする。
簡単に諦められるものは夢とは言えない。
ふみ出す一歩。
積み重ねる一升。
俺のくぎ煮は、一歩、一升、
どこまでも行け。
試作のたびにくぎ煮を一升炊く。
山椒入り。生姜入り。
梅風味。
その数なんと二十回以上。
うまくいかない日も
心が折れそうな日も
もちろん、ある。
でもくぎ煮は曲がれど
信念は曲げない。
めざすは母の炊いてくれた、
あのやさしい味。
くぎ煮で幸せになれた人間は
くぎ煮で人を幸せにする。
簡単に諦められるものは夢とは言えない。
ふみ出す一歩。
積み重ねる一升。
俺のくぎ煮は、一歩、一升、
どこまでも行け。
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
いままで「くぎ煮」で生かされてきた自分。その恩を自分の作った「くぎ煮」で返す。自分の仕事は社会への恩返しである。見習いたい考え方です。
いままで「くぎ煮」で生かされてきた自分。その恩を自分の作った「くぎ煮」で返す。自分の仕事は社会への恩返しである。見習いたい考え方です。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
詩:おばあちゃん
ぴよよ さん(北海道・女性・20歳)
それ
佃煮じゃなかったよ
私が遊びに行ったとき
よく出してくれた
小さなタッパーに
びっしり入った
茶色い何か
幼い私には
お魚か
お野菜か
はたまた別の何かか
わからなかった
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかったよ
甘じょっぱくて
ご飯に合うやつ
てかてか光る
曲がっている
茶色い何か
大人になって
文学賞を見つけて
初めて知った
これ
佃煮じゃない
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかったよ
今まで佃煮と
信じていたもの
久しぶりに
手土産に持って行って
伝えてあげる
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかった
くぎ煮って言うんだよ
佃煮じゃなかったよ
私が遊びに行ったとき
よく出してくれた
小さなタッパーに
びっしり入った
茶色い何か
幼い私には
お魚か
お野菜か
はたまた別の何かか
わからなかった
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかったよ
甘じょっぱくて
ご飯に合うやつ
てかてか光る
曲がっている
茶色い何か
大人になって
文学賞を見つけて
初めて知った
これ
佃煮じゃない
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかったよ
今まで佃煮と
信じていたもの
久しぶりに
手土産に持って行って
伝えてあげる
おばあちゃん
それ
佃煮じゃなかった
くぎ煮って言うんだよ
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
いまは「くぎ煮」という呼び名が定着しましたが、昔は単に「佃煮」と呼んでいた人もいた、と聞いたことがあります。昔の文献には「くぎ煎り」とも。そこから繋がったと思われる「くぎり」と呼ぶ人もいます。
いまは「くぎ煮」という呼び名が定着しましたが、昔は単に「佃煮」と呼んでいた人もいた、と聞いたことがあります。昔の文献には「くぎ煎り」とも。そこから繋がったと思われる「くぎり」と呼ぶ人もいます。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
川柳:くぎ煮好きくぎ煮が好きな人も好き
園田浩 さん(熊本県・男性・76歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
「くぎ煮が好きな人」を想像すると、親しい友人や家族、懐かしい人の顔が浮かびます。「くぎ煮」は好きな人をつなぐコミュニケーションツールでもありますね。
「くぎ煮が好きな人」を想像すると、親しい友人や家族、懐かしい人の顔が浮かびます。「くぎ煮」は好きな人をつなぐコミュニケーションツールでもありますね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
川柳:解禁に 憧れるのを やめられず
だんべいぱぱ さん(三重県・男性・71歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
WBC・アメリカとの決勝戦前に大谷翔平選手が語った有名なフレーズがモチーフです。私もくぎ煮への憧れはやめられません。
WBC・アメリカとの決勝戦前に大谷翔平選手が語った有名なフレーズがモチーフです。私もくぎ煮への憧れはやめられません。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
振興協会賞
俳句:いかなごのくぎ煮は母からのバトン
小田乃理子 さん(埼玉県・女性・63歳)
〈山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福社長)選評〉
世代の間をつなぐバトンとしての「くぎ煮」。永遠にバトンリレーができるよう、資源保護にも協力していかねばなりません。
世代の間をつなぐバトンとしての「くぎ煮」。永遠にバトンリレーができるよう、資源保護にも協力していかねばなりません。
ジュニア部門
グランプリ
川柳:小さきタコくぎ煮の中に見つけ吉
悟老 さん(岡山県・男性・15)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
パック詰めされた小魚にまぎれこんだ小さなエビやタコを発見した経験は多くの方がお持ちでしょう。「当り!」と心弾む一瞬。
パック詰めされた小魚にまぎれこんだ小さなエビやタコを発見した経験は多くの方がお持ちでしょう。「当り!」と心弾む一瞬。
準グランプリ
エッセイ:いかなごの洋食
あけみ さん(兵庫県・女性・小6)
「いかなごの洋食ってないんかな?」と、お姉ちゃんが言い出した。私は、お姉ちゃんが急に何を言いだすのかとびっくりした。
しょうゆで甘辛く炊いたいかなごを、ホカホカのご飯の上にのせてほお張った時、私は日本人に生まれてよかったと心から思える。そんないかなごを洋食にするって!? 私はいかなごは絶対に和食の方がいいと思った。
そしたら「洋食ええね」って、お母さんまでが言い出した。お母さんまで何言うてんの…。
「洋食なんかいやや!いかなごはしょうゆで甘辛く炊くから美味しいんや!!」って私が言ったら、お姉ちゃんとお母さんが顔を見合わせて大笑いし始めた。これってあの時と同じや。
ずっと前、いかなご漁の解禁のニュースを見ていた時、私は「不漁」を「不良」とかん違いして、お姉ちゃんに馬鹿にされたことがある。その時と全く同じリアクションやった。
「ようしょく」とは、漢字では「養殖」と書くらしい。意味は人が魚などを育てて数を増やすことだと知った。「不漁」と「不良」の時も思ったけど、日本語ってややこしい。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。下を向いたら、ごはんの上のいかなごのくぎ煮が、お腹をかかえて笑ってるように見えた。いかなごにまで馬鹿にされた気分になって、なんかくやしい。
腹が立ったから、いかなごのくぎ煮を全部口の中に入れてやった。口いっぱいに広がる甘辛い何とも言えない味に、すぐにイライラも吹き飛んで、やっぱりいかなごは洋食より和食が合うと思った。
しょうゆで甘辛く炊いたいかなごを、ホカホカのご飯の上にのせてほお張った時、私は日本人に生まれてよかったと心から思える。そんないかなごを洋食にするって!? 私はいかなごは絶対に和食の方がいいと思った。
そしたら「洋食ええね」って、お母さんまでが言い出した。お母さんまで何言うてんの…。
「洋食なんかいやや!いかなごはしょうゆで甘辛く炊くから美味しいんや!!」って私が言ったら、お姉ちゃんとお母さんが顔を見合わせて大笑いし始めた。これってあの時と同じや。
ずっと前、いかなご漁の解禁のニュースを見ていた時、私は「不漁」を「不良」とかん違いして、お姉ちゃんに馬鹿にされたことがある。その時と全く同じリアクションやった。
「ようしょく」とは、漢字では「養殖」と書くらしい。意味は人が魚などを育てて数を増やすことだと知った。「不漁」と「不良」の時も思ったけど、日本語ってややこしい。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。下を向いたら、ごはんの上のいかなごのくぎ煮が、お腹をかかえて笑ってるように見えた。いかなごにまで馬鹿にされた気分になって、なんかくやしい。
腹が立ったから、いかなごのくぎ煮を全部口の中に入れてやった。口いっぱいに広がる甘辛い何とも言えない味に、すぐにイライラも吹き飛んで、やっぱりいかなごは洋食より和食が合うと思った。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
和食の代表選手だと思っていたくぎ煮がなんで洋食に? 小6女子の可愛らしい作文です。
和食の代表選手だと思っていたくぎ煮がなんで洋食に? 小6女子の可愛らしい作文です。
特選
俳句:白ごはん 舞台で泳ぐ 春告魚
フラフープ さん(兵庫県・男性・高1)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
俳句で「春告鳥」といえばウグイスのこと。では「春告魚」は? 歳時記ではニシンのこととなっていますが、瀬戸内沿岸ではなんといってもイカナゴです。活躍の舞台はつやつやのご飯。
俳句で「春告鳥」といえばウグイスのこと。では「春告魚」は? 歳時記ではニシンのこととなっていますが、瀬戸内沿岸ではなんといってもイカナゴです。活躍の舞台はつやつやのご飯。
特選
短歌:食べたいと強く願ったあの日から叶わぬ恋と思うべきかな
音 さん(東京都・女性・中3)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
「食べたい」を「会いたい」に替えれば典型的な恋歌です。これはいとしいくぎ煮に捧げる食いしん坊の恋歌でしょうか。
「食べたい」を「会いたい」に替えれば典型的な恋歌です。これはいとしいくぎ煮に捧げる食いしん坊の恋歌でしょうか。
特選
エッセイ:アイワナビーアくぎ煮宣教師
多良 葵 さん(滋賀県・男性・高2)
魚が苦手なんよ。生臭ぁ。思うた瞬間から口が、鼻が拒みよる。とにかく生臭いのがたまらん嫌いやねん。ほな、みそ汁に入っとるのはいけるんか、と思うたやろ? あかんあかん。みそ汁全体が生臭ぉなりよる。ウンコを便器に投下してもなお臭いんと同じ原理や。ほんまは味噌のええ香りしかしとらんのかも知らんけど、くっせぇ思いはじめたが最後、そうとしか思えへんようんなる。
みそ汁に入れてもあかん、ムニエルもあかん、焼き魚はかいもくあかん。でも、栄養ダンチやがら食えるようなったらなぁてずうと思とった。
そんなとき出おたんが、いかなごのくぎ煮っち。こやつは魚料理ゆうより魚お菓子て呼んだ方がしっくりくる思う。やめられないとまらない♪のお仲間さんね。ごはん。くぎ煮。パクパクうまぁ。ごはん。くぎ煮。パクパクうまぁ。ねちょおした甘辛が口にへばりつくんを、ごはんで拭うその繰り返し。気づけばおいはくぎ煮ジャンキー。道具箱みてヨダレたらしたときもうそろそろヤバいわ思たもん。くぎ煮が魚は友達、生臭ぉないて教えてくれた。ええ認知行動療法んなっとったみたい。
まず、すし屋のみそ汁が飲めるようんなった。あれ、こんな美味かったんかえてビビり散らかしたね。ほんで次に焼き魚。ラスボスお刺身ぃも今ではウマウマ食える。くぎ煮がおいを日本人にしてくれた。今ではすっかり肉より魚っしょて感じ。
おいはくぎ煮らぶやのに、知らへん人結構おって悲しいなる。友達も知らへん言うもんやから、おいが作っちゃるて宣言。クックパッドみて、えっさほいさやっとったんやけど、なんせ普段料理なんてせんもん。いかなごが鍋にこびりつきよった。焦る。やっべぇて箸でかきまぜたら、なんか団子みたいになってしもて、うわ泣きっ面にハチびええ。友達はしかめっ面して美味しい美味しい言いよる。悔しゅうて。
お世話んなったくぎ煮の顔に泥塗ってしもて。ごめんやったでて言いながら、おいは今日もくぎ煮作ってるなう。
みそ汁に入れてもあかん、ムニエルもあかん、焼き魚はかいもくあかん。でも、栄養ダンチやがら食えるようなったらなぁてずうと思とった。
そんなとき出おたんが、いかなごのくぎ煮っち。こやつは魚料理ゆうより魚お菓子て呼んだ方がしっくりくる思う。やめられないとまらない♪のお仲間さんね。ごはん。くぎ煮。パクパクうまぁ。ごはん。くぎ煮。パクパクうまぁ。ねちょおした甘辛が口にへばりつくんを、ごはんで拭うその繰り返し。気づけばおいはくぎ煮ジャンキー。道具箱みてヨダレたらしたときもうそろそろヤバいわ思たもん。くぎ煮が魚は友達、生臭ぉないて教えてくれた。ええ認知行動療法んなっとったみたい。
まず、すし屋のみそ汁が飲めるようんなった。あれ、こんな美味かったんかえてビビり散らかしたね。ほんで次に焼き魚。ラスボスお刺身ぃも今ではウマウマ食える。くぎ煮がおいを日本人にしてくれた。今ではすっかり肉より魚っしょて感じ。
おいはくぎ煮らぶやのに、知らへん人結構おって悲しいなる。友達も知らへん言うもんやから、おいが作っちゃるて宣言。クックパッドみて、えっさほいさやっとったんやけど、なんせ普段料理なんてせんもん。いかなごが鍋にこびりつきよった。焦る。やっべぇて箸でかきまぜたら、なんか団子みたいになってしもて、うわ泣きっ面にハチびええ。友達はしかめっ面して美味しい美味しい言いよる。悔しゅうて。
お世話んなったくぎ煮の顔に泥塗ってしもて。ごめんやったでて言いながら、おいは今日もくぎ煮作ってるなう。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
魚嫌いを克服できたのはくぎ煮のお蔭。ラップのように弾んだ文章が楽しく、なかなかの文才と感じ入りました。
魚嫌いを克服できたのはくぎ煮のお蔭。ラップのように弾んだ文章が楽しく、なかなかの文才と感じ入りました。
「少子化」「キックバック」「アレ」「光る君」、そして 「異次元」と、今年も世相を反映させたくぎ煮川柳が揃いました。捻りの利いた楽しい作品が並ぶ中、この句からは作者がくぎ煮に寄せるストレートな心意気を感じました。くぎ煮ファンの総意を背負った力強い宣言です。