第1回 いかなごのくぎ煮文学賞入賞作品

グランプリ
エッセイ:人と人をつなぐ神戸の春の香り-いかなご貧乏と言われても 大濱義弘さん(兵庫県)
妻の炊く釘煮の匂いああ春だ

昨年四月、神戸新聞の文芸欄に乗せていただいた私の句である。晩学の独学で我流。以下の句・短歌も同様である。
今年もまた釘煮の季節の到来。垂水の街では今日もそれぞれの家庭の味が炊かれている。

寒戻る街に釘煮の香の匂ふ

ここ三〇年、わが家の春は妻の「釘煮を炊く準備」から始まる。買い物に行くたびに、こだわりの醤油、ザラメ、タッパの容器などが蟻が獲物を引いてくるかのように、部屋に並び始める。その量の増えることが春の来る足音である。

釘煮炊く準備の品の部屋占拠
春しぐれシンコ解禁近き報

最後に高知産生姜「お多福」をどんと買い込む。宅配用の宛名ラベルも記入を済ませ、ひたすら解禁日を待つ。
解禁日の妻は、洗濯も早目にして、明石「魚の棚」へ。地元商店街で並ぶ時間が「もったいない」のだそうである。
初日(二七日)には、十六キロを一キロずつ、一〇時前から四時過ぎまでかかって炊き上げる。そしてすぐに発送用の包装・荷造りと、ほぼ立ちっぱなし状態。これが二日間続く。その体力・気力には完全脱帽である。

妻の春シンコ解禁釘煮炊く
釘煮炊く妻の昼食係りぼく
春便り釘煮が運ぶ妻の味
釘煮ですお隣へ先ずご挨拶
被災地の便り釘煮の礼のTEL

今年も二日間で三〇キロを炊き、北は茨城県から南は愛媛県までの、二五軒に配った妻。見事である。シンコの値段、送料その他の費用を合わせればかなりの負担である。
しかし、シンコ解禁のニュースを見て「今年も釘煮はくるだろうか」と思っていた人、黙って待っていた人たちに今年も、神戸の春の香りを届けることが出来た。
未だ余震の続く被災地、茨城からのお礼の電話の中味は昨年と一変したが、神戸の復興を伝え、これからの激励にもなった。
「いかなご貧乏」と自嘲しながらも、妻の表情に、「今年も元気で釘煮を炊くことが出来た」安堵と達成感を見る。
今年も、「釘煮」が運んでくれたわが家の早春である。
妻に畏敬と感謝を込めて贈る。

釘煮炊く妻の体力畏るべし ジム通いする伊達にはあらず
釘煮炊く妻のパワーに驚嘆す この力われ支えてくれし
このパワーあればこそわが今日のあり 支えられ来し歳月思う

発送をすべて終える。そして

釘煮終え妻とランチはイタリアン
〈三田完・特別審査委員長講評〉
エッセイに俳句、短歌を折り込むという形式が大変ユニークで、読者を惹き込みます。シンコ解禁を待ちわびて準備をあれこれ整える様子-こちらまで胸がわくわくします。30キロものくぎ煮を炊く奥様のご苦労と、それを温かく見守るご主人の視線がよく伝わってくる作品でした。
準グランプリ
川柳:王将が 鯛ならくぎ煮 歩の誇り 中村利之さん(大阪府)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
鯛もいかなごもそれぞれ瀬戸内の名産。王将の貫禄と歩の底力をみごとにアピールした作品です。作者のくぎ煮への愛情が察せられ、嬉しくなりました。
エッセイ・作文部門
特選
エッセイ・作文:いかなごのくぎ煮のしおり 辰巳明久さん(兵庫県)
つれあいがくぎ煮を炊き始めて三十年以上。毎年、各地の親友や友人へ送り続けています。
二十五年ほど前から、私が綴った駄文「くぎ煮のしおり」(A5サイズ二つ折り)を同封するようになり、現在に至っています。手元に残っている中からいくつかを。
なお、店主とは私、製造部長はつれあいのこと。店名はもちろん「辰巳堂」です。また、毎年同じ文章を繰り返している部分は省略しました。

年代不明
お元気でいらっしゃいますか。
今年も瀬戸内の「旬」の味覚をお届けいたします。
竹かんむりに旬と書いて筍(たけのこ)、魚偏に春と書いて鰆(さわら)。季節の素材を大切にし、珍重してきた他に類を見ない日本の食文化。これからも当店はこの伝統を守り続けてまいりたいと存じます。
昨今は暖冬の影響から新子(しんこ)の成長が盛んで、例年よりも早くから水揚げが始まりました。
当地では年々、このくぎ煮を製造する家庭が増えてまいりました。中にはくぎ煮とは名ばかりの粗製品もございます。類似品にご注意ください。
昼網の新鮮な「いかなご」を手早く水洗いし、醤油、黄ザラメ、生姜の天然素材だけを用いた直伝の製法を守る、創業十数年の当店の製品を今後ともご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
なお、本品は純粋に季節商品でございますので、追加のご注文には応じかねます。悪しからずご了承ください。
店主敬白

一九九五年(平成七年)
「なんで神戸に…」の思いから今だに脱することができません。
皆様にはご心配いただきましたが、幸いにして弊店の従業員、製造所ともども大きな被害はありませんでした。
今年もこの通り、くぎ煮を炊き、お届し、そしてこの駄文を創るという楽しみを味わえることを感謝しております。
地震によって、原材料である「新子」が明石海峡から大阪湾全体に散るという漁場の変化のため、例年より漁獲量が減って入手が困難でした。
が、一方、神戸市長田区およに須磨区南部という新子の大消費地の大部分には都市ガスがまだ通じておらず、需要が少なく、原材料高騰という最悪の事態だけは免れました。(以下略)

一九九八年(平成十年)
今年四月、世界一の明石海峡大橋が開通します。当店から車で数分のところに布施畑インターが設けられ、そこから淡路島へは僅か十五分ほどで渡れるそうです。
橋の経済効果もさることながら、明石で生まれ、神戸で育ち、そして母親が淡路島の産という店主にとっては、また格別の感慨があります。なによりフェリーの待ち時間がなくなるということが…。
その明石海峡大橋の直下付近がいかなごの最大の漁場。昨年放映された携帯電話のテレビコマーシャルをご記憶の方も多いと存じます。(以下略)

一九九九年(平成十一年)
おまたせしました。今年もいかなごのくぎ煮が炊きあがり、さっそくお届いたしました。
流通ルートの進歩により、春に生まれた新子(しんこが売られる地域が年々拡大しているようです。
しかし、体調三~四センチの半透明の新子の鮮度は時間が勝負。いくら冷蔵しても、水揚げされて半日もたつとくぎ煮には適しません。材料を手早く水洗いする段階で体型が崩れてしまうのです。
弊店が加工にかかるのは午後二時ごろ。昼網が上がって配送されるのを待ち、すぐに仕入れて持ち帰ります。味付けはスーパーの特売で二月頃から少しずつ買いためた醤油と、黄ザラ、土生姜のみ。
他店では味醂や日本酒、水飴などを調味料として使っているところもあります。しかし、弊店で直伝の味を守って二十余年、素材の風味を生かし、素朴さにこだわり続けています。
お手元に届いたくぎ煮はなるべく冷蔵庫に保存ください。冷凍庫ではさらに長期間保存いただけます。
もっとも、「すぐになくなってしまう。保存するほど送ってくれないくせに何をいうか」というお叱り(?)の声が多いのも確かですが、季節も製造量も限られておりますので、なにとぞご容赦願います。

二〇〇〇年(平成十二年)
ようやく春を迎え、明石海峡を隔てた淡路町ではジャパンフローラ2000(淡路花博)も閉幕しました。
今年のいかなごの新子(しんこ)は、例年より漁獲量が少ないうえに、その相当量が淡路花博を当て込んだ土産用に大手業者に横流しされているとかで、弊店のような零細製造者には手に入りにくくなるという結果を招きました。
そのため、新規仕入先を開拓するなど、新子の確保に苦労いたしました。
また、大量一括仕入れも検討いたしましたが、材料の鮮度が落ちるため、一日の処理量は八キロ程度が限界で、それもかないません。
さらに仕入れ価格も例年の五割以上に高騰し、「海の松茸」状態になりつつあります。(以下略)

二〇〇一年(平成十三年)
春の海ひねもすのたりのたりかな(蕪村)
彼岸の墓参りで淡路島西浦、一宮町郡家へ行ってきました。店主の母方の在所です。
明石海峡大橋を渡る際、往路には多く見られたいかなご漁の漁船も、復路ではその舟影はなく、うららかな海はまさに冒頭の句の情景そのままでした。
今年のいかなごの新子(しんこ)は生育がよく、漁獲量も順調に伸びているようです。さらに扱い店も増えて、入手が比較的容易になっています。
ただ、有明海の海苔のごとく、環境変化によりいつ何時壊滅するかわかりません。
毎年春を届けてくれるいかなごが消える日の到来を恐れつつ、くぎに製造中の生の新子をくすね、さっと茹でてポン酢を一振り…。そして日本酒をぬる燗で、これは絶品です。(以下略)

二〇〇二年(平成十四年)
またくぎ煮をお届けできる季節がやってまいりました。
今年は本年産の「新子」の生育が順調で、二月末の試験操業、それに続く量の解禁段階でも、すでにそこそこの体長になっていました。
と、まるで自分で漁をやっているかのような調子で駄文を書き連ねておりますが、もちろん素材を仕入れる際の運転手くらいにしか関わっておりません。(以下略)

二〇〇三年(平成十五年)
春のごあいさつをお届けします。
最近、一部ではいかなごを「春告魚」と呼んでいますが、本来の春告魚はいかなごの新子を餌として生育するメバルのことだそうです。
今年のいかなご漁の解禁は例年より早く、二月十九日。しかも、そこそこの大きさで慌てて製造に着手しました。
ところが日によって新子の大きさが違うとか。日々大きくなっていくのではなく、大きい日もあれば小さいときもあるそうです。おそらく、漁場による差ではないでしょうか。(以下略)

二〇〇四年(平成十六年)
ようやく春のごあいさつがお届けできるようになりました。今年は新子の生育が思わしくなく、例年より一週間ばかり遅れて三月一日にいかなご漁解禁。
ところで、「ふるせ(古背)」をご存知でしょうか。いかなごの親で二年物、三年物をこう呼び、長さは一五センチくらいです。
くぎ煮、素焼き、唐揚げとなかなかの味ではありますが、弊店では製造部長の「なんかコワイ」の一言で扱っておりません。(以下略)

二〇〇五年(平成十七年)
お待たせ致しました。春のご挨拶をお届けします。
新子の漁が昨年よりも一週間、一昨年からするとちょうど二週間も遅れての解禁となりました。とはいうものの、弊店のくぎ煮製造は例年、春分の日前後であり、お届する時期は変わっていません。
漁業関係者によれば、この季節のいかなごは毎日孵化し、水温に比例してどんどん成長するそうです。
そのため、漁場によって大きさにばらつきがあり、さらには店によっても大きく差が出てきます。
本来なら製品の均質化を図るべきですが、「そんなもん、知ったこっちゃないというのがホンネではあります。
近年のくぎ煮ブームが影響したのか、なにしろ新子の売り切れ続出という状況のため、鮮度さえよければ、大きさにこだわらず仕入れています。

二〇〇六年(平成十八年)
春のご挨拶をお届けします。
兵庫県では二月下旬に「試験曳き」を行い、成長の度合いを見て新子漁の解禁日を決めます。今年は例年より早く三月一日に解禁されました。
ところが、生育が思わしくなく、三日に一旦休漁。六日には再開されたものの、以後しばらくは小ぶりの新子が店頭に並ぶことになりました。
弊店はある程度まで成長した新子を用いることにしておりますが、今年は小ぶりのものを使わざるを得ませんでした。
そのためか本品は不本意なばら、やや軟らかめに仕上がっております。
いかなごの新子の食べ方は、くぎ煮のほか、お吸い物の具や玉子とじなどいろいろ工夫されております。
とりわけ美味なのが新子の釜揚げ…。さっと熱湯にくぐらせて水気を切り、ポン酢とおろし生姜少々。酒の肴として絶品です。(以下略)

二〇〇七年(平成十九年)
春のご挨拶をお届けします。
すでにご承知とも思いますが、今年の「新子」の漁獲量は非常に少なく、店頭では毎日争奪戦が繰り広げられました。
暖冬が響いて西からの季節風が弱く、稚魚が産卵場に滞留して親魚に食べられてしまったという説が有力です。不漁に伴い原材料価格も高騰し、例年の二倍ほどにもなりました。
そのため、今回お届けするくぎ煮は、例年より少ないことをご了承願います。
実はそれに加えて、一月末から弊店の製造部長が体調不良をきたし入院、手術。くぎ煮の製造もかなわぬ状態になりました。
二十余年間続いた「春のご挨拶」をお届けできないという弊店存亡の危機に陥りましたが、製造部長の高校時代からの親友で、神戸市西区に住むJ子さんが「まかしとき…」と、原材料の確保の苦労も厭わず、快く製造をお受けくださいました。
J子さんは弊店をルーツとはしておりますが、すでに独自の境地に達しておられ、例年とは違った味わいをお楽しみいただけると思います。
このような事情で今年は外注生産となりましたが、幸いにして製造部長の体調も快方に向かっております。
来年は従来通りお届けできることと思います。(以下略)

二〇〇八年(平成二十年)
厳しかった冬もようたく去り、今年も春の便りをお届けできる季節になりました。
今年のいかなご「新子」の生育は良好とのことで、二月二十八日の解禁以来、弊店も大いに期待しておりました。
しかし、漁獲量以上に需要が多いようで、昨年ほどではないものの、相場は高値安定傾向にあります。
加えて三月五日、明石海峡での船の多重衝突事故で流出した重油による新子漁場の大幅制限…。「広い海で、何であんな事故が起きるねん…」とぼやきつつも、なんとか予定量を確保できました。
一方、昨年の弊店製造部長の体長不漁はほぼ完治し、くぎ煮の製造にも気合が入りました。ご心配くださった皆様には、改めてお礼申し上げます。(以下略)

二〇〇九年(平成二十一年)
今年は「どうにか」春の便りをお届けできました。
まさに狂騒としかいいようのない状況でした。極端とも言える品薄で、近所の鮮魚店ではこれまで通りいかなごの「新子」が確保できず、あげく店主とは旧知の明石・魚の棚の店に予約の上仕入れてきました。(同封、新聞切り抜き掲載の店です)
漁解禁以来、巷の噂に入手困難とは聞いておりましたが、一般店頭では長蛇の列ができ、一人一キロや二キロに制限されるなどの情報に、一時は戦意を喪失しそうになりました。
しかし、老舗の誇りと執念で、例年より減らさざるを得なかったものの、なんとか炊きあげることができました。
そのため、今年は「くぎ煮シェアリング」させていただき、量が少なめです。
商業的にくぎ煮を製造販売している同業者には「時価」と表示しているところもあるなどの事情をご理解くださって、瀬戸内の海の宝石をご賞味いただければ幸せです。(中略)
追伸
今年のような状態が来年も続けば、弊店の存続にも影響するかもしれません。
あらかじめご了解願います。

二〇一〇年(平成二十二年)
春の便りをお届けします。
昨年の、悪夢のような「いかなご新子不漁」には閉口しました。
今年の漁獲は平年よりもやや不漁だそうですが、市場には十分に出回っており、価格の昨年の六割ぐらいで落ち着いています。
今年の新子漁の解禁は二月二十七日でした。初日は量も少なく、翌日は日曜で休漁、各家庭でのくぎ煮製造が本格化したのは三月一日からです。
漁が始まった直後はまだ小さく、弊店では毎年、解禁十日後ぐらいから製造を始めています。これは単に好みの問題であり、くぎ煮は小さいのに限る、と早々に製造を終えるというところもあるようです。(小ぶりのくぎ煮がお好みの方はそちらからお取り寄せ願います)(以下略)

二〇一一年(平成二十三年)
今年も春の便りをお届けします。
順調な滑り出しを見せた今年の「いかなご新子漁」。
量的にも問題なく、価格も比較的安定しており、平穏な気持ちのうちにお届けできると思っていましたが、東日本の大震災に十六年前の悪夢がよみがえってきました。
新鮮な素材が手に入る、水道水をふんだんに使って洗う、都市ガスの強火で炊く…なにげない日常が過ごせるありがたさを改めて感じています。
被災地の一日も早い立ち直りを願うばかりです。(以下略)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
これもまたユニークな作品です。十数年のあいだ、各地に送りつづけたくぎ煮に添えたしおりを列挙したもの。ローマは一日にしてならず。くぎ煮は一年にしてならず。十数年の歳月とくぎ煮の関わりをつづったスケールの大きさに感服。
エッセイ・作文部門
特選
エッセイ・作文:おかんのくぎ煮 竹川尚美さん(兵庫県)
うちのおかんの作るくぎ煮はちっとも「くぎ」やない。ふにゃふにゃで何ともたよりない。母はへたくそやなぁと心の中で思っていた。
ところがある年からピンとした「くぎ煮」に変わった。誰かに教わったのか聞いてみると、「お父さんがもういないから…」との答え。そう、歯のなかった亡父の為にわざと柔らかく炊いていたのだ。
母の腕を疑った娘を許して。
今年は母といっしょに台所に立ってみようか。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
ある年から変わったおかんのくぎ煮…。短いながらも、ほろりと泣かせる文章でした。
エッセイ・作文部門
特選
エッセイ・作文:無題 高橋富子さん(兵庫県)
神戸で育った彼と、北海道で育った私。ふとした出会いで恋に落ちてしまいました。遠距離交際二年、結婚し、東京の一間のアパートで新生活を始めることになりました。
といえば、めでたしめでたし、なのですが、実は彼の両親は大反対だったのです。
彼はどうしても私と結婚したいので、遠くを幸い、まったく私にはそのことを言わず、うまく事を進めたので、私は祝福された結婚と信じていただけに、大変ショックでした。
この上はいつか分かってもらえるように努力するほかないと、一生懸命彼と良い家庭を作る一方、両親にもいろいろと心を尽くしました。
でも、なかなか心を開いてはくれませんでした。
一年たち、二年たち、そんなある日、初めて神戸から小包が届いたのです。それは手作りのいかなごのくぎ煮でした。
「いかなごのくぎ煮をたきました。お腹の子にもいいと思います」と、母の短い手紙がそえらえていました。
その時のうれしさは言葉に表せないくらいでした。そのいかなごのおいしかったこと、忘れられない生涯で一番の味でした。
許された、いいえ祝福して受け入れてくれたという思いが、私を幸福いっぱいの気持ちにしてくれました。
その時から後は、いつも春が巡ってくると、いかなごが送られてきて楽しみなことでした。
数年の後、神戸へ同居してからは、私が教わっていかなごを炊きました。
はじめてのいかなごの出会いから四十年余り、今夫もその父もすでに亡くなり、母は百歳になろうとしています。
今年もいかなごをおいしいとたべてもらえました。来年も食べてもらえるでしょうか。いかなごは私の思いでとともに、私の宝の食べ物です。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
嫁ぎ先でのぎすぎすとした義父母との関係が、まさにこうしたものだと思います。その雪解けにくぎ煮が一役買ったとは嬉しい限りです。
川柳部門特選
川柳:根性は 曲がっていない くぎ煮好き 小田中準一さん(千葉県)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
いかにも川柳らしい、からっとした作風に脱帽です。ええ、いかなごも、それを炊く人も、食べる人も、根性が曲がっているはずがない。
川柳部門特選
川柳:「送ったよ」 メールに飯を 炊いて待つ 三上武彦さん(東京都)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
思わず笑ってしまう。でも、わかります。その気持ち。同じ作者の「遺産分けくぎ煮のレシピ欲しかった」にもニヤリとしました。
俳句部門特選
俳句:「たぷたぷと 煮詰めるくぎ煮 春の音」 村木美穂さん(岡山県)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
「たぷたぷ」という厨(くりや)の音がいい効果を生んでいます。味もご馳走、香りもご馳走、そして音までもがご馳走…。作者の作るくぎ煮の美味しさが伝わってくるようです。
俳句部門特選
俳句:「芳春や くぎ煮が香る 港町」 安原勝則さん(兵庫県)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
くぎ煮を炊く香りが町中に…。まさに芳春という言葉がふさわしい情景です。格調高い一句。
短歌部門特選
短歌:家々の くぎ煮炊く香が かぐわしく マスクはずして 深呼吸する オネリカさん(兵庫県尼崎市)
〈三田完・特別審査委員長講評〉
くぎ煮の季節は、ちょうど杉花粉が舞いはじめる季節でもあります。
あの家からもこの家からも流れてくるくぎ煮の香りに、我慢出来ずにマスクを取ってしまう・・・・・・。
気取らない楽しい作品です。
※(家々の釘煮炊く香のかぐわしく・・・・・・)とすると、いっそう格調高い歌になります。
詩部門特選
詩:Spring has Come 神戸ミュージックサロンさん(兵庫県)
※3月20日、表彰式で演奏していただきました。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
くぎ煮の歌までできたとは…。感動しました。英語混じりの掛け合いがまことに楽しいですね。くぎ煮をテーマに心弾む、若々しい歌が誕生したことは嬉しい限りです。
三田完特別賞
エッセイ・作文:私のくぎ煮の思い出 長野きみ子さん(兵庫県)
私は駒ヶ林で生まれ育ち、今年で九十一歳になります。
父は漁師をしていました。
子供の頃、母が巻き寿司に高野とかんぴょうといかなごのくぎ煮を入れて巻いてくれました。
それがとてもおいしかったです。
今でも会いたいけど、今年もくぎ煮を食べて、これからも長生きします。
〈三田完・特別審査委員長講評〉
特別賞として、長野きみ子さんの「私のくぎ煮の思い出」を推したいと思います。91歳と高齢にもかかわらず、くぎ煮文学賞に応募してくださった気持ちに感謝。

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© 2007- いかなごのくぎ煮振興協会