第8回 いかなごのくぎ煮文学賞入賞作品

グランプリ
川柳:オレオレは くぎ煮送れで 本物と やじろべーさん(千葉県・男性・53)
<三田完・特別審査委員長講評>
警察庁の発表によれば、昨年、特殊詐欺の認知件数は1万6500件、被害総額は350億円とか。受話器から「オレオレ」と聞こえてきたら要注意。しかし、つづく言葉がくぎ煮の催促なら、わが息子に間違いない。殺伐とした世相とくぎ煮の温もりが絶妙なコントラストを醸しています。
準グランプリ
エッセイ:私のナイショ こまゆみさん(埼玉県・女性・35)
みんなの給食を私は知らない。食物アレルギーの私は六年間、母の弁当で過ごした。母は気を遣って、なるべく給食の献立と同じものを入れた。毎日と思うと、その苦労は計り知れない。
それでも母は私を不憫に思ったのだろう。「元気な子に生んであげられなくてごめんね」と、事あるごとに言っていた。
小学二年生のとき、私は埼玉から神戸に引っ越すことになった。はじめての献立。母を悩ませたのは「いかなごのくぎ煮」だった。イカなの?、イナゴなの?、釘なの?。当時はスマホもパソコンもない時代。母には打つ手がなかった。
そこで学校に電話をすると、レシピがファックスで送られてきた。しかし、送られてきたのは文字だらけのレシピ。到底くぎ煮をイメージできるものではなかった。
その夜、台所にはくぎ煮を炊く母の姿があった。その表情から不安な様子はすぐにわかった。何度も味見をし、首をかしげ、また調味料を足す。母を見て私も心配になった。
それでも朝は来た。不安な時間もやってきた。給食の時間、みんなのお膳には炊きたてのご飯に艶々のくぎ煮。湯気に乗って鼻へとくぎ煮の香りが届いた。
食べたい。みんなを恨めしそうに見ながら、私はこっそり弁当の蓋を開けた。すると給食とは似ても似つかない母のくぎ煮があった。思わずため息がもれた。そのときだ。
「なんかおいしそう」
隣の男子が私の弁当を覗きこんだ。
その視線は確かにくぎ煮にあった。私は恥ずかしさのあまり一気に口に運んだ。その瞬間、まさに頬が落ちそうだった。
「ねえ、どう?。おいしい?」
横で何度も聞くその声が、どこかくすぐったかった。そして私は「ナイショ」と答えた。
今でも思う。給食ってどんな味なのだろうと。だってみんなの味を私は知らないから。でも、私の味をみんなも知らない。だから母のくぎ煮は私だけのヒミツの味。そう思うと、この運命にも少し感謝できる。母さん、ありがとうって。でも照れ臭いから、まだ母にはナイショなのだ。
<三田完・特別審査委員長講評>
食物アレルギーで学校給食を食べた経験のない作者が語るくぎ煮。お母さんの愛情に感動するとともに、クラスメートにもいとしさを覚えます。作り手ごとにちょっとずつ異なる味と見た目─。くぎ煮の多様性に気づかされた文章でした。
郵便局賞
エッセイ:いかなごのくぎ煮が教えてくれたもの 園木和好さん(福岡県・女性・高2)
「いかなごのくぎ煮」。私の住む九州ではあまり聞きなれない言葉だ。お店に並ぶことも少なく、味を知っている友達も二、三人しか知らない。そんないかなごのくぎ煮だが、私にとっては春の訪れを告げるものの一つだ。
幼い頃から我が家には毎年必ずいかなごのくぎ煮がやってくる。それは兵庫県に住む祖母が毎年送ってくれるもので、私はとても楽しみにしている。
祖母は年に何度か、自分で育てた野菜などを送ってくれるのだが、いかなごのくぎ煮の入った荷物は、少し特別な存在である。「今日送ったから、明日には届くと思うよ」と電話がかかってくると、届くのが待ち遠しくて、とてもわくわくする。
荷物が届くとすぐにお礼の電話をするのだが、くぎ煮のお礼から始まって、最近の出来事や身の回りで起きたささいなことなど、たわいない話へとつながっていく。一人暮らしをする祖母にとって、電話の時間はとても嬉しいようで、いつもつい長電話をしてしまう。このように、くぎ煮は私と祖母の電話のきっかけにもなっている。
なぜ、祖母は毎年、必ずいかなごのくぎ煮を送ってくれるのだろうか。幼い頃は何も考えずに食べていたが、大きくなるにつれて少しずつ考えるようになった。そして分かったのは、私はいかなごのくぎ煮を通して祖母からの愛情を受け取っている、ということだ。
祖母が毎年送ってくれるものは、九州では見ることができないくらい、とてもたくさん入ったものだ。わざわざ買いに行って送ってくれる祖母の優しさが、くぎ煮には詰まっているのだと思う。
祖母とはなかなか会うことができず、私が高校生になってからは、忙しさのあまり、電話をする回数も減ってしまった。しかし、これからは私が祖母に今までの恩返しをしたいと思う。いかなごのくぎ煮が教えてくれた祖母の愛情を、これからも大切にしていきたい。
<三田完・特別審査委員長講評>
郵便局賞は郵送で届いた応募作品から選ばれます。作者は九州にお住まいの高校2年生。毎年、くぎ煮を送ってくれる祖母についての淡々とした文章に、滋味が滲んでいます。
特選(俳句)
俳句:春風とくぎ煮の町へ嫁ぎゆく 八木五十八さん(岡山県・男性・58)
<三田完・特別審査委員長講評>
春の一日、娘を嫁がせた父親の心情でしょうか。春風と一緒の輿入れとはなんともめでたい。嫁ぎ先では、くぎ煮の香りが春風に溶け込んでいます。
特選(短歌)
短歌:デボン紀のままの姿にいかなごを追うを思いて落し蓋をする 瀬戸内光さん(山口県・女性・59)
<三田完・特別審査委員長講評>
デボン紀は4億年前、多くの魚類が生まれた地層年代です。くぎ煮を炊きながら落し蓋をする行為に、デボン紀まで思いを馳せる大仰さ─これもまた短歌の面白さです。
特選(川柳)
川柳:いかなごも 少子化の波 来よったか 茶じじいさん(兵庫県・男性・62)
<三田完・特別審査委員長講評>
いかなごの不漁をポツリと嘆く、とぼけた味わいの一句。「来よったか」という口語のおかげで、だいぶ救われた気分になります。
特選(詩)
詩:おかんよ釘煮を炊け ムク坊さん(神奈川県・男性・80)
あの大震災が
長田の町から
多くの仲間を
連れ去ってしまった後
あなたは釘煮を
炊かなくなってしまった

春になると
瀬戸内の海の神々は
新鮮なワカゴを
ドッサリ届けてくれた
長田のおかん達は
釘煮を炊いた
家族のために
親類のために
そして仲間との味比べのために

おかんよ
釘煮を炊け
神戸の味の永遠のために
残されたあなたは
釘煮を炊け
そしてあなたが
天国に行く時
土産に持って行け
そして仲間達に
味見をしてもらうのだ

おかんよ
釘煮を炊け
犠牲になった仲間のために
愛する神戸のためにも
おかんよ
くぎ煮を炊け
<三田完・特別審査委員長講評>
震災のあと釘煮を炊かなくなったおかんを叱咤激励する骨太の詩です。おかんとともに、いかなごを育む海をも作者は励ましているように感じました。
特選(エッセイ)
エッセイ:ザ・バトル・オブ・いかなご 清水沙織さん(兵庫県・女性・36)
この地の母たちは毎年三月頃にテロリストになる。『いかなごのくぎ煮』を作りまくり、友人知人親戚一同に送りつけることを、地元紙は『いかなご戦争』と命名していた。
私も生のいかなごを購入し、宣戦布告。…とは言っても、『いかなご』という存在自体を、ここに嫁いできて初めて知ったぐらいの新兵。うまく作れるのだろうか?
おっかなびっくりしながらのはじめてのくぎ煮作りは、自分でいうのもなんだが、なかなか美味しく仕上がった。
この『いかなご戦争』は親戚や友人、お世話になっている人に送りつけるまで終結しない。かくゆう私も、タッパにくぎ煮を詰め込み、四方八方に送りつけまくった。着弾確認の連絡が「おいしい」とい言葉と共に届くたびに、胸の勲章が増えていく。
そして、最後の戦として、この地に代々住み続けている旦那方の親に、直接、渡しに行ったのである。
根っからの地元民にくぎ煮の味を認定して貰うことが、私の『いかなご戦争』唯一の勝利条件なのだ。
「お義母さん、くぎ煮作ったんですよー。おすそわけですー」
真新しいプラ容器に詰めたくぎ煮を渡した。
「…あー、ウチなぁ。くぎ煮嫌いやねん」
はぁ?
「いかなごは釜揚げにしたやつが一番美味しいで。…しかも、こんなはよから買って炊いて…、高かったやろ?。もっと後に買わなあかんで。もったいないのぅ」
差し出したくぎ煮の入ったプラ容器は、フタも開けずに突き返された。まさかの不戦敗である。
『地元民だからって、みんながみんなくぎ煮を好き好んで食ってるわけじゃない』
そんな当たり前の事実に気がつくまでの、長く短い戦いだった。
だが、一度授与された勲章にかかる民衆の期待は大きいものである。
翌年以降、いかなご漁の解禁が報道されると、どこからか「くぎ煮、食べたいわねぇ」という声があがるようになった。
そして、私は今年も『いかなごのくぎ煮』を作り、そして送りつけまくる。
…但し、お義母さん以外に。
<三田完・特別審査委員長講評>
春ともなると、いかなごをせっせと炊き、知り合いにどんどん送りつけるこの地の女たちの業─。それを闘いにたとえた楽しい文章です。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
俳句:団子より 花よりくぎ煮で 春実感 日輪草さん(埼玉県・女性・54)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長( 株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
いかなごのくぎ煮振興協会にとっても「花より団子よりくぎ煮」(笑)。今後も忙しい春が続くことを期待したいです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:春だよりくぎ煮で作る「  」中に愛詰め今年も届く 松崎悦子さん(山口県・女性・63)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
「 」は(カギカッコ)と読めば良いのでしょうか。たくさんの愛情が全国に届き、笑顔の輪が広がっているはずです。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:いかなごを買う行列が笑ってる 大石希世さん(兵庫県・女性)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
いかなごを買う行列では見知らぬ人どうしでも話が盛り上がります。いかなごの値段、こだわりのレシピ、炊く量自慢…。賑やかな行列が目に浮かびますね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:臥す妻に 聞きつつ炊いた 初くぎ煮 春山英男さん(栃木県・男性・84)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
奥さまのご病気は心配ですね。くぎ煮は上手に炊けたでしょうか。ごはんをたくさん召し上がっていただき、快復されることを祈ります。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:ぼおおっと 生きてくぎ煮を 知らぬまま ほのぼのさん(神奈川県・男性・73)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
「くぎ煮」を知らない人生、ちょっと残念な気がします。一人でも多くの方に「くぎ煮」を知っていただけるよう、我々も努力を続けます。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:平成最後 わが家のくぎ煮奮戦記 大濱義弘さん(兵庫県・男性・75)
今年の我が家のくぎ煮「奮戦」の幕開きは1月10日(木)。この日、二つの事件?が発生。文学賞への応募の契機となる。
まず一つ目は、地元の神戸新聞一面に、衝撃のニュース。『イカナゴ親魚 過去最少 県調査、今春も不漁の恐れ』の二段見出しのコラム記事を掲載。2年前の悪夢が過ぎる。
いま一つは、行きつけの街の書店で、平積みの文庫本の中に「三田完」の名前を発見。忘れられないお名前。いかなごくぎ煮文学賞の特別審査委員長のあの三田完さんだ。
「あしたのこころだ 小沢昭一的風景を巡る」(文春文庫700円+税)早速買い求め、じっくりと読み始めた。
少々脱線するがお許しあれ…。これがまた面白いのなんのって…。NHKに入社、小沢さんにお茶を出す話。「元気甲斐」の弁当を買う話、感佩措く能わざる思いでぺこりと頭を下げる…のくだりなど、枚挙に暇がない。小沢昭一という人をよくもここまで、と思うほど描写していられる。ウイットに富んだ会話、文章はみごとだ。
ちなみに私は 小沢昭一著「川柳うきよ鏡」、「川柳うきよ大学」(いずれも新潮新書)は、いつでも手に取れる位置に置いてある。変哲(小沢昭一さんの俳号)さんの俳句もよく読んでいる。
この二つの出来事が、今年もこの文学賞への挑戦の動機付けとなった。
ここからは、短歌・俳句らしきものと川柳で綴る奮戦記である。

〈1/10神戸新聞報道〉に
イカナゴも少子化ヒトの世に倣う
過去最少イカナゴ今年また不漁の報道に我のみが震撼
三田完著「あしたのこころだ」に学ぶプロの作家の文書くこころ
友の妻もあの高値ならウチは止めと言いたりと聞く男の職場

〈2/28〉試験曳きの「少ない・高値」情報(近所の漁師の息子さんから)
高値予想に「イカナゴ貯金」あると笑む妻太っ腹なみなみならぬ

〈3/4解禁前日〉
明日解禁街にイカナゴグッズ並ぶ我が家は疾うに寝部屋を占拠
大型のタッパぎっしり刻みたる生姜「お多福」詰めて臨戦
晩酌の乾杯妻は「明日出陣」と静かな闘志もらし杯干す

3月5日シンコ漁 解禁  垂水漁港界隈
今日だけは暁闇起床シンコ漁出船にエール祈る豊漁
漆黒の茅渟の浦わの漁火の煌めく灯り春呼ぶのろし
春霞けさの漁火消し去りぬ
シンコ漁カモメおこぼれ待つ漁港

妻、明石魚の棚へ向け出陣
7時40分出発 戦闘開始の出で立ちは
保冷剤キャリーにそっとしのばせて
出陣は七時半すぎ「魚の棚」目指して妻のキャリー軽やか

私は仕事、職場へ 8時半発
60人並んで待つと妻メール (8時48分)
シンコくる気配も無しに待つ数多 とも

10時7分 2時間並んだ妻からメール
キロ四千8キロゲット殿(しんがり)と驚愕の値も揺るぎ無き妻

仕事を終え4時半帰宅の私
家中が明け放たれて あの甘辛い香りが漂う。聞けば、8キロ炊いて「カーブス」へ筋トレに行く。そこで、イオンにまだシンコが残っている、と聞いて直行、3キロ買い、今炊き終えたという。まさに鉄人である。本日〆て11キロ。明石はキロ4000円、垂水キロ3800円。
くぎ煮炊く今年も元気妻が居る
お裾分けご近所先ずは両隣

夕食は二人でお弁当を買って食べる。酒のアテはもちろん「くぎ煮」。口の中に垂水の春が広がる。何という幸せ。

3月6日  戦闘二日目
この日も昨日と同じように、明石へ。5キロゲット、今日もキロ4000円。垂水へ帰りイオンで6キロ。ここはキロ3500円、併せて11キロ。昨日と合計22キロを炊き終え、午後6時過ぎパック詰めも終了。カーブスへ筋力トレに行く妻。この元気に舌を巻きつつ、慰労の夕食は外食で私持ち。3191円。
?子代金8万7700円、送料1万1500円 ゆうパック9個、宅配便7個。茨城県から愛媛県まで16軒。他に、いわゆるイカナゴグッズとして、醤油、みりん、料理酒、ザラメ、生姜、パック容器なども必要。 イカナゴ貯金月一万円の積み立てをはるかに越えているだろうが、アンタッチャブル。
笑い合うイカナゴ貧乏 然り乍ら人の絆の太さ豊かさ

3月7日  早くも茨城、神戸市北区、三木市そして愛媛からもお礼の電話続々。
垂水漁港点描
群れ成してカモメ待ちおりシンコ船
シンコ待つカモメの群れる漁港には帰る漁船の影もあらざる

垂水平磯の路地散策  平年より匂ってくる家激減
春告げるくぎ煮の匂い路地かすか
早春の路地過ぎ行けば仄かなるくぎ煮の匂い鼻腔くすぐる
くぎ煮炊く香の匂いくる路地の口垂水の春はここに発する
くぎ煮の香この街だけの春便り

夕方、外出より帰宅してみれば、くぎ煮を炊く香り。スーパーに淡路産が出ていてキロ2980円。3キロ買って、今年最後の締めくくりと笑む妻。
くぎ煮炊く今年も妻の奮闘に脱帽しつつ我が春弾む
くぎ煮炊く妻は我が家の春の使者
平成を閉じる金婚くぎ煮の香 (実はわれら夫婦は結婚50年)
3月8日 衝撃のニュース。『シンコ漁3日で終了‐大阪湾、記録的不漁』。
来年はどうなるシンコ妻 杞憂

この状況下で25キロ。炊いて発送の妻へ拍手
奮戦記書き終え妻の偉大知る
夫唱婦随 生きる阿吽のアンダンテ
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
特別審査委員長の三田完先生の作品を書店で発見されたエピソード。小沢昭一さんを描いた「あしたのこころだ」とてもおもしろい作品です。皆さんも是非お読みになってください。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:心動かしたお土産 柿木健二朗さん(神奈川県・男性・43)
十年以上前、年末年始を実家のある大阪で過ごした私は、横浜の自宅へ戻るため、駅でお土産を選んでいた。当時、私はサービス業の会社で働いていて、一番年下。本来は年始も仕事だったが、無理言って休みを貰った負い目もあり、職場の先輩たちへのお土産を考えていた。
しかし、私にはお土産を渡したくない先輩がいた。その人は職場を仕切る男性リーダーで、仕事に厳しく、仕事以外の事はほとんど話さない気難しい人で、私は彼が苦手であった。しかし、4、5人の働く小さな職場なので、彼だけ買わないわけにもいかなかった。
そんな時、私は偶然、いかなごのくぎ煮の試食販売コーナーを見つけた。私にとって、いかなごのくぎ煮は正直、馴染みが薄かった。ごはんのお供として食べた記憶がある程度。しかし、店員さんから勧められたこともあり、私はお土産にすることに決めた。
職場へ戻った私は、先輩たちにお土産を配った。当然、リーダーにも渡した。彼は「有難うございます」と受け取ったものの、笑顔で受け取る他の先輩と比べると愛想が無く、私は嫌な気分になった。
ところが、翌朝、突然リーダーが私に声を掛けてきた。彼は「いかなごのくぎ煮って、あんなに美味しいものだとは思わなかった!」と、興奮気味に目を輝かせて話していた。私は彼がここまで喜んでいたことに驚き、同時に彼に認められたのだと感じて嬉しくなった。
しかし、これを機にリーダーが私に対して好意的に接してくれることは無かった。以前と変わらず厳しい人のままだった。むしろ変わったのは私の方だった。彼の意外な一面を見られたことで、彼への苦手意識が消えていた。
以来、私はお土産コーナーでいかなごのくぎ煮を探すようになった。そして、見つけるたびに、私は心がほっこりするのであった。
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
苦手な先輩の意外な一面を見るきっかけになった「くぎ煮」。「お土産の価値」を感じられるエッセイです。渡した方にもっと喜んでいただけるよう、我々もおいしい商品づくりに努めたいと思います。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:恋しくなる味 杉原和奏さん(神奈川県・女性・高2)
「ぶえっくしょい!」。盛大なくしゃみをし、忌々しげに見えもしない風を睨む。三月上旬、まだまだ花粉は活発に働いている。人によって春の訪れを感じるものはそれぞれだろう。
花粉症、桜の開花、そして兵庫県出身の私にとっては、それに並ぶほど、いや、それを超えるほどの春の訪れを感じさせるものがある。ピンポーン、と玄関の呼び鈴がなる。今年も段ボールに詰められて、私の「春」がやってきた。
四時間目が終わり、いつも通り弁当の蓋を開けると、横から「何それ?」という声が飛んできた。彼女が見ているのは白米の上に乗った茶色い小魚。「え、いかなごの釘煮だけど…」。この時私は日本人のソウルフードだと思っていた釘煮は、お好み焼きのように全国区に広まっていないということを初めて知った。
神戸に住んでいた頃、おばあちゃんに釘煮の作り方を教えてもらった。「なあ、教えてもらった通りにやってるのに、おばあちゃんのと同じ味にならへんねんけど」。どうやっても大好きなあの味は再現できない。
私のやさぐれた声を聞いて、「愛が足らんのちゃう」。おばあちゃんは楽しそうに笑って言った。「そんなんちゃうわ!。ほんまに味ちゃうんやもん、なんか隠し味でも入れてるん?」。おばあちゃんは鍋を覗きながら呟いた。「今はまだ教えられへんな、いつかな」と。おばあちゃんがなぜ隠し味を教えてくれないのか、まだ小学生だった私には、皆目見当が付かなかった。
段ボールを受け取り、玄関でテープを剥がす。わくわくして思わず口角が上がってしまう。届いたことを報告しようとおばあちゃんに電話を掛けた。「釘煮、今年もありがとう。なあ、この前知ってんけど、横浜にいかなごあんま売ってないんやで」と伝えた。すると、おばあちゃんは言った。「あんたが次帰ってきたら隠し味、教えたるわ」。
届いた釘煮を一口つまむ。おばあちゃんが恋しくなる味がした。なぜ急に釘煮の隠し味を教えてくれる気になったのか。それはきっと、孫の私に早く会いたいという一日千秋の想いからだろう。決めた。次の春はお腹をすかせておばあちゃんに会いに行こう。澄んだ風がカーテンを優しく揺らした。
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
いかなごのくぎ煮は世代間のコミュニケーションツール。親から子、子から孫…。今後も食文化として守り育てていかねばなりません。いかなごが獲れますように…。

ジュニア部門

グランプリ
詩:ふしぎ ゆみさん(埼玉県・女性・小2)
ふしぎだね
ママのくぎには
いつだって
おんなじいろで
皿にでる
だけどなにかがちがうんだ

こっそりつまみぐいしたときの味
ママといっしょにたべた味
パパと三人でたべた味
妹ができてたべた味
弟がおなかにいてたべた味

ぜんぶぜんぶちがう味
どんどん どんどん おいしくなる
ふしぎのふしぎ。なぜだろう。
そうか、わかった。わかったぞ。

人数もきっとおかずのうちなんだね
<三田完・特別審査委員長講評>
見た目は同じなのに、そのつど違うくぎ煮の味。大発見をつづった小2の詩です。
準グランプリ】
川柳:なかよしね くぎにはみんな 手をつなぐ パンダさん(大阪府・男性・小1)
<三田完・特別審査委員長講評>
たしかに!。ご飯に乗せたとき、いかなご一尾一尾が手をつないでいますね。小1の川柳です。
特選
俳句:くぎ煮食う路線電車の音ゆたか 横溝惺哉さん(宮城県・男性・中1)
<三田完・特別審査委員長講評>
くぎ煮の味と電車の音─無関係だけれども、ともに作者の日常。中1の俳句、渋いです。
特選
短歌:いかなごが好きというだけで友だちさオキゴンドウと人間の僕 横道玄さん(山口県・男性・小2)
<三田完・特別審査委員長講評>
オキゴンドウはいたずら好きなクジラ。その点でも、小2の作者と似ているかもしれません。
特選
エッセイ:この味、夢とくぎ煮 茶々さん(神奈川県・女性・中2)
「夕食、食べなくていいの」  いらない、食べてきた-。そう答えることが多くなってきた。体の悲鳴を無視して今日の練習も終えてきた。
私の夢はバレリーナ。ファミレスのご飯なんて―、そう言いかけた母さんは口をつぐんだ。太る、バレリーナにはよくないとでも続ける気か。そうじゃない。ファミレス代ですら痛い出費なのだろう。わかってる。わかってる―。今夜はステップだけ確認して眠ろう。
「今日、おばあちゃんが来たのよ」
母さんの手にはイカナゴの釘煮。釘煮食べる?は母さんの口癖。料理下手な母さんは、毎週おばあちゃんの作る味が濃いおかずをご飯に乗せて食べさせてくれる。弁当だって山盛りご飯の上にちょこんと釘煮乗せだったり。
私はそれが嫌だ。母さんも、おばあちゃんも甘めの味付けだって言うけど、私の舌は苦みを感じる。バレエで疲れているときくらいガッツリ肉が食べたい、なんて言うつもりもないけど。
あ、痛たた、うぅぅ―。また腹痛が襲ってきた。時々、バレエのことを考えると、下痢でもない、便秘でもない不思議な痛みに襲われる。母さんに気付かれないように、そそくさとベッドに入った。
次の日の朝、痛みは消えなかった。夢の中でも踊っていたからだろうか。学校に遅れ―、と言いかけた母さんが、焦ってベッドに走ってくる。毛布を頭までかぶりうずくまる私は、大声で思いがけないことを口走った。
「もう、バレエ続けていける自信ない―」
急に痛みが引いた私は両目をのぞかせた。母さんがまっすぐ私を見つめる。投げられるかとも思った。だが、母さんはほほ笑んで、 「イカナゴの釘煮食べる?」
と言った。思わず吹き出してしまった。
母の作った大きなおにぎりが二つ。今日は学校もバレエも忘れて、母さんとくぎ煮のおにぎり食べられたらな、なんて。パクッと一口。  この味―。初めて甘味を感じた。
<三田完・特別審査委員長講評>
中2の作者がバレリーナになる夢を断念しようとしたとき、お母さんのくぎ煮が待ったをかけました。

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