第6回 いかなごのくぎ煮文学賞入賞作品

グランプリ
川柳:くぎ煮以外 曲がったことは 嫌いです りのんぱさん(東京都・37)
<三田完・特別審査委員長講評>
大谷翔平の内角ストレートという感じの一句。信条をそのまま吐露しつつ、ほんわかと可笑しいですね。筋の通らぬ浮世で、姿は曲がっていても味がまっすぐなくぎ煮への力強い声援です。
準グランプリ
短歌:あいうえお 習い始めた 一年生 くぎ煮並べて つ・く・しと書いた 西田由里子さん(大阪府・35)
<三田完・特別審査委員長講評>
小学一年生がくぎ煮を「つ・く・し」と並べる。なんとも可愛らしい風景です。くぎ煮の姿がひらがなに似ている…という作品はいままでもありましたが、海の幸が春の野に生える土筆に化けるとは、おみごと!
郵便局賞
エッセイ:福島のコウナゴ(イカナゴ) 佐藤茂男さん(福島県)
ある日、HP上で「イカナゴ」のくぎ煮の検定試験なるものを見つけた。西日本の方ならば疑問を抱かないだろうが、イカナゴのくぎ煮という言葉を聞いたことがなかったので、妻に訊くと、福島で言うコウナゴ(小女子)の佃煮だとのこと。
コウナゴなら少しは知っているので、検定試験なるものを受けてみたが、意外と難しい。え、イカナゴって夏眠するの、イカナゴのくぎ煮の発祥地ってどこ、と驚きと疑問続出である。
しかし、英語検定をはじめとして、実に様々な検定試験があるが、まさか「イカナゴ」のくぎ煮の検定試験があるとは思っていなかった。それもイカナゴのくぎ煮振興協会というものがあって、その協会の公認だという。これを考えたのは誰だろう。冗談が好きな人に違いない。
別な日の夕方、久しぶりに行きつけの店に行くと、飲み屋の女将が、
「はい、イカナゴのくぎ煮」
と言って、目の前に出してくれたのはコウナゴではないか。
「コウナゴの佃煮だね」
と訊くと、
「コウナゴはあれ以来、あまり獲れないんです」
とのこと。
「ううん、そうだね。あの事故以来か。でも半径十キロ以外で試験操業が始まったともテレビでいっていたな。もうすぐじゃない」
と言ってはみたものの、どうなるかわかったもんじゃない。
それにしても、東日本大震災から既に六年。被害があまりにも大きかったせいだろうが、復興が遅い気がする。阪神淡路大震災では、十年で地震の傷跡は跡形もなく消えたと思うが、このままのスピードでは、復興どころか現状維持も難しい。
「早く昔のようになってくれればいいんですけどね。それにしても、安くコウナゴを買いたいわ」
女将の言うことはもっともだった。この辺りでは、コウナゴの佃煮は別に珍しいものではなく、節になれば食べるものだった。
福島の人間なら、相馬沖のコウナゴが食べたいとつくづく思った。
<三田完・特別審査委員長講評>
郵便局賞は郵送で届いた応募作品から選びました。福島と神戸、ともに震災に見舞われた土地で、ひとびとは小さな魚の佃煮を愛しんでいます。復興への深い思いを語る作者の控えめな口調に、読者も姿勢を正したい気持になります。
特選(俳句)
俳句:採れたての いかなごまさに 光の巣 むらさき色布さん(神奈川県・29)
<三田完・特別審査委員長講評>
網の中で春光に映え、ピチピチと跳ねる銀色のイカナゴが見えるようです。「光の巣」という作者独自の表現が、大きな説得力を持っています。
特選(短歌)
短歌:ひとりでも 大丈夫だと 言う母に くぎ煮持たされ また見送られ 橘孔雀さん(福井県・52)
<三田完・特別審査委員長講評>
くぎ煮は母の味、祖母の味です。気丈に独り暮らしをつづける老母に会いに行き、くぎ煮を土産にもらいました。おふくろ、ごめんな…。すこししょっぱいくぎ煮です。
特選(川柳)
川柳:いかなごも キロの値段で 鯛に勝ち 板垣光行さん(新潟県・58)
<三田完・特別審査委員長講評>
まさに今年の実感でしょう。なりが小さく、いつも量り売りに甘んじているイカナゴですが、いつの間にか魚の王者に負けぬ高嶺の花になってしまった。おもしろうてやがて悲しき一句です。
特選(エッセイ)
エッセイ:春告魚 義田知子さん(ニュージーランド)
春になるたび、瀬戸内で生まれ育った私は、今は亡き祖母が庭先の七輪で焼いていた小さな割烹着姿を思い出します。
イカナゴは漢字で玉筋魚、瀬戸内地方では春を告げる魚なので、一名「春告魚」と書くそうです。
稚魚を釜揚げにしたシラスご飯もとても美味しいのですが、大きめのイカナゴを炭火で炙ると一段と香ばしく、また別の味わいがあります。
焦げ目が付くほどよく焼いて、醤油ベースの甘酢に漬け込むとき、ジュッと立ち上がる湯気の音。段々と日が長くなってきたとはいえ、まだ肌寒い春先の夕暮れ、長い菜箸を手にした祖母が器用に焼いたり漬けたりを繰り返す様を、まだ小学生だった私は飽かず眺めたものでした。
出来上がると、少し神妙な声色で「お味見よ」と小皿に乗せてくれた黄金色の甘酸っぱい味は、どんなに時が移り、遠く日本を離れても、私の思い出の味、春のご馳走です。
あれから幾年月たったでしょうか。今住んでいるニュージーランドでは、イカナゴのような白い幼魚を総称してホワイトベイトと呼び、小麦粉や卵等をからめて作るフリッターはとても人気があります。
ニュージーランド先住民のマオリ語でイナンガと呼ばれるのも、どことなくイカナゴに音感が似ています。産地も料理法も違っても、春を告げに来る魚という点では同じで、ホワイトベイト漁は春の風物詩です。
我が家では、お鍋に醤油、みりん、砂糖、生姜を加え、水分がなくなるまで弱火でコトコトと煮込む、瀬戸内スタイルのくぎ煮が定番です。釜揚げや甘酢漬けより日持ちがしますので大変重宝します。
食べ盛りの九歳になる娘がアツアツご飯と美味しそうに頬張るのを見ると、何ともいえず幸せな気分になります。記憶の中の春は色褪せません。
<三田完・特別審査委員長講評>
ニュージーランド在住の方から応募作をいただくのも、ネットの時代ならではのこと。瀬戸内に育った作者のイカナゴへの思いがよく伝わってきます。ニュージーランドでくぎ煮作りをしているなんて、嬉しい文章です。
特選(詩)
詩:いかなごのうた ふじたごうらこさん(岡山県)
わいらはいかなご、なかまがたくさんおってな
さとうであまくなって
しょうゆでからくなって
ちょうどようあまかろうなって
しあがりにちょいとしょうがをいれてもろうて
ごはんのうえにのっけてたべてくださいや
おいしいでえおいしいでえおいしいでえ

わいらはいかなご、なかまでおいしくかたまって
さとうでひかって
しょうゆでじっくり
ちょうどようあまかろうなって
しあがりにちょいとさんしょをいれてもろうて
ごはんのうえにのっけてたべてくださいや
おいしいでえおいしいでえおいしいでえ

わいらはいかなご、なかまでいっしょにたべられる
おはしでつまれてえがおみて
あじわられてえがおみる
おいしいねというこえをきいて
わいらはよかったなあとよろこぶよ
おいしいでえおいしいでえたくさんたべてやあ
<三田完・特別審査委員長講評>
すべてひらがな表記で、関西弁。語っているのはイカナゴ本人(?)です。このままメロディーをつければ、楽しい唄になるでしょう。どなたか、作曲してくださいませんか。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:アルミ箔の 落し蓋より 開いた穴の 数のみ湯気の 吹くくぎ煮鍋 瀬戸内光さん(山口県)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
くぎ煮を炊く様子が目に浮かぶ作品です。アルミ箔に穴を開けた落としぶたを使うのが、上手に炊くコツです。日本で初めてアルミ箔が作られたのは1930年、昭和5年だそうですが、いつ頃から「くぎ煮」に使ったのでしょうか。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:俺くぎ煮 錆びたナイフは 裕次郎 ペー助さん(山口県・71)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
若い方には意味がわからないかもしれません。私も映画は見たことがありませんが、歌を聞いたことがあるので思わずニヤリとさせられました。そういう年代です(笑)。石原裕次郎さんはくぎ煮を食べたことがあるのでしょうか。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:冷蔵庫 ラップの上から 「りょうすけの」 母の書いた字 持って帰る用 船引亮佑さん(東京都・27)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
下宿先に持って帰って息子に食べてもらいたいという、お母さんの気持ち、わかります。出来立てをラップされた「くぎ煮」。本人がつまみ食いする分には許してもらえそうですね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:短歌連作21首「くぎ煮への思い入れ ~妻奮闘の記録~」 大濱義弘さん(兵庫県・73)
(二月十八日  今年もやる気)
寝室の スペースすでに くぎ煮炊く ザラメ、醤油と みりんが占拠

(二月二十日  私も漁港を視察?)
垂水漁港 いかなご漁の 準備すすむ 水揚げ籠の 山積みにあり

(二月二十六日 垂水の情報源から)
春を呼ぶ いかなごパック 買う妻に 不漁高値の 噂届けり

(二月二十八日 公式発表)
解禁日 やっと決まった シンコ漁 うで撫す妻は 今日も筋トレ

(三月五日 私もちょっぴり貢献)
税還付 妻のイカナゴ 炊く足しに もぞり差し出す 今日は啓蟄

(三月六日 高知産の生姜「お多福」は妻のこだわり)
シンコ漁 あす解禁の 緊張を ほぐすか妻の 「お多福」刻む 明日
シンコ 解禁 妻は十時には すでに就寝 亭主遺棄して

(三月七日 解禁日明石はシンコ無し、垂水で並ぶ)
暁闇の 垂水漁港は 僚船の エンジン音の 春の歌満つ
八時前 気合を込めて 魚の棚 めざす妻の目 輝きてあり
なんという 高値か当初 四千円 シンコ財布に 厳寒もどす
くぎ煮炊く 香の満ち満ちて 家中の 窓開け放す 春は来にけり
十キロを 炊きて一日暮れし 妻を今宵慰労の 焼き肉店へ
春だより くぎ煮初日は 七軒へ 送るパックの 夜に整う
イカナゴの 高値を託つ 我に妻 月々くぎ煮 貯金したりと

(三月八日 今年も二日で勝負)
二日目は 三千五百円 十五キロ 買えると歓喜 メール久々
二十五キロ 炊き終え妻の ちょいと行く 筋トレこれぞ 永久の春なり

(三月九日 北は茨城、南は愛媛松山から)
宅配の 届く今日から くぎ煮の礼 電話攻撃 身構える妻
くぎ煮の礼 鯛より高い 高級魚と ほめられ妻は ほくそ笑みたり

(三月十日  去年三十五キロを炊いた妻)
去年から 買いためていし醤油・ザラメ 五キロ分だけ 残る寂しさ

(三月十七日 安くなれば炊く気のあった妻だが)
十キロを 減らした分の 醤油ザラメ ぽつんと部屋の 隅で鎮座す

(三月十九日〈番外〉)
来年も 炊く気ザラメの百八円 買いきて 半値以下と宣
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
21作品を連作ととらえて、賞に選びました。順に読んでいくと、大濱さんのお宅でのくぎ煮炊きイベントの様子が手に取るようにわかります。今年25キロ炊かれたとはすごいことですね。お疲れさまでした。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
短歌:孫知らぬ 戦下のあの日も 我が母も ご馳走といい 食べたくぎ煮も 成澤紀子さん(宮城県・76)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
戦争中のご馳走としての「くぎ煮」の思い出。昭和10年のグルメ本に「釘煎」というくぎ煮の原型と言えるものが掲載されていますが、まだ一般にはあまり普及していなかったはず。お母様は漁師町の生まれなのでしょうか。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
川柳:このくぎ煮 忖度せずとも うまいなぁ だいちゃんZ!さん(大阪府・41)
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
この春はニュースに「忖度」が度々登場しました。お世辞抜きにうまい「くぎ煮」には忖度必要なし。忖度してくぎ煮をお土産に選んだ、という作品もありましたが、こういう忖度はどんどんしていただきたいですね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:日本人になりました 小林あみさん(神奈川県)
カイさんは中国内陸部のご出身だ。日本にお嫁にやって来た。
「都会に出てくるまで、日本人に会ったことはありませんでした」
ヤンさんの日本語は、今ではすっかり流暢だ。
内陸の奥深い村から出てきたカイさんは、どうやら中国の大都市で嫌な思いをすることが度々あったらしい。
「そんな私にわけへだてなく接してくれたのが、一人の日本人でした」
こんな小さなことがきっかけで、カイさんはこの日本人男性に好意を持った。小さなことはカイさんにとっては大きなことだったのだ。やがて二人は恋に落ち、そして結婚した。
日本にやってきたばかりのことを、カイさんは面白可笑しく話してくれた
「食べ物にはとてもビックリしました。小さな魚がたくさんたくさんお皿に乗っていたんです。『ベイビー!ベイビー! こんなにいっぱいベイビーを食べたら魚がいなくなっちゃう』。私が育った場所は海から遠くて、魚を食べたことがありませんでしたから」
いかなごのくぎ煮を初めて見た時は、カイさんはあまりの驚きに箸をつけることが出来なかったという。
「でも、今は大好きでたくさん食べます。私は日本人になりました」
いかなごはカイさんにとっては、心細いながらもひたむきだった新婚時代を思い出す特別な味のようだ。
「子どもたちが一番好きなお握りの具はいかなごなんですよ」
カイさんは屈託なく笑った。それは愛する人の国にしっかりと根をおろし子育てするお母さんの顔だった。
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
20年くらい前、シンガポールでの神戸フェアで中国系の方にくぎ煮が大好評だったことを思い出します。世界文化遺産である「和食」としても世界に広めていきたいですね。
いかなごのくぎ煮
振興協会賞
エッセイ:いかなご先輩 中能茜さん(大阪府)
就職活動は世間の噂どおり散々だった。
それでも、やっと採用にこぎつけたと思ったら、
東京の本社配属になって、関西の実家を初めて離れる事になった。

要領が悪い癖に、プライドは高く、
自分のこだわりは絶対に譲れない、やっかいな性格だけれど、
今はまだ若さで全てを許してもらえている。

指導してくれている15歳年上の山田先輩は厳しくて、
少しでも間違いがあると、書類をつき返された。
怖くて隠れてミスを修正しても、直ぐに見付かって注意されるし、
素直にミスを申告しても、お説教される。正直、毎日が辛い。

自分で作ったお弁当を持って会議室に入る。
同僚や先輩たちが既にテレビを見ながら、世間話に花を咲かせている。
山田先輩の隣しか席が空いていない。仕方なく横に座る。
ほぼ冷凍食品のお弁当を味わう。仕事のことを今は考えない。
振られた話には答えるけれど、自分からは話題を振らないのは、
正直、面倒くさいからだ。虚しい。
こっちじゃ、本音を言える友達も少ない。

ふと山田先輩のお弁当を覗くと、いかなごのくぎ煮が入っていて、
ふるさとの料理に、思わず、「あ!」と小さくつぶやくのを聞かれた。
「あー、あんたも関西だっけ?。わたし、地元が灘なの」と、
くぎ煮をおすそ分けしてもらう。自然な流れで受け取る。
よく聞くと、先輩が自分で煮たという。美味しいし、懐かしいし。
いろいろな感情と手作りの温もりとが混じって、涙が止まらなくなった。

みな、わたしがまた、
山田先輩に小言を並べられているのかと遠巻きに見ていた。
心配だけれど、やっかい事には関わりたくないのが本音なのだろう。
昼休み後にロッカールームで会った同僚たちが、
こっそりと、「大丈夫だった?」のかと、
何があったか確かめもせずに、気休めだけの言葉をかけてくる。
わたしには不要な気遣いだ。笑顔で誤魔化す。

あぁ、春が来た。もうすぐ、わたしは社会人二年目になるのだ。
もう少し、この職場で頑張れそうな気がしてきた。
こんど、先輩にいかなごのくぎ煮の作り方を教えてもらおう。
<山中勧・いかなごのくぎ煮振興協会事務局長(株式会社伍魚福代表取締役社長)選評>
いかなごの「くぎ煮」から伝わる、厳しい先輩の別の顔。「くぎ煮」は皆さんの思い出の味であり、コミュニケーションのツールでもあります。東京で「くぎ煮」を炊いている方もおられるのでしょうか。

ジュニア部門

グランプリ
エッセイ:おてつだい てふてふさん(岐阜県・高2)
「いらっしゃいませー!」 そんな声を聞きながら、いかなごのくぎ煮をトレイに詰めていた幼少期。
私の両親は塩乾物を取り扱っている商売人だ。スーパー内のテナントで店を任されている。
共働きだったので、幼少期は保育園内にある学童保育に、ほぼ毎日空の色が夜に向かっていく頃まで預けられていて、先生と一対一になることも少なくなかった。
どうしても遅くなってしまう日は、早めに迎えに来てもらい、店の〝おてつだい〟をするというパターンがあり、早く母親に会える喜びで、定期的にやってくるその日を待ちわびていた。
店の手伝いといっても、タオルを畳んで一枚五円という軽作業から、詰め物ひとパック十円というがっつり作業まで幅広く存在した。
中でも私は詰め物をすることが好きだった。
指定されたグラム数ぴったりに詰めて蓋をし、値段シールを貼る。「お買い得品!」と鮮やかな赤色で印刷されている細長いシールは、右上がりに貼ると勢いが出るんだよ、と商売人のプチギミックも教わった。
教えられた通りにお買い得品シールを貼ると、母親が「上手!」と褒めてくれて、その顔を見られることが何より嬉しく、誇らしかった。
完成品を店の外に並べていると、お客さんにたびたび話しかけられ、それが恥ずかしくて恥ずかしくて、その場から即逃走し、母親の後ろに隠れる、なんて一幕も。
一通り手伝いが終わったら、成果としてお金がもらえた。三百円程度だったが、「〝たいせつ〟にしよう」と思ったことは、今でも覚えている。
私は大人に囲まれながら過ごすその時間がちょっぴり恥ずかしく、そして、とても楽しかった。〝おとな〟の仲間入りができた気がしたから。
現在高校生になり、店の手伝いをすることはなくなった。人件費削減とかなんとかで、今は詰められたものが本社から送られてくるらしい。
もうグラム数ぴったりに詰めて母親に褒められる、なんてこともないが、いかなごのくぎ煮を見ると、その頃の日々がほんのり脳裏に蘇るのだった。
<三田完・特別審査委員長講評>
高校生の作品。ふつう、若いひとたちにとって、くぎ煮は食べるだけのものなのに、作者は幼いころ、売るのを手伝っていました。そんな一風変わった思い出が新鮮でした。
特選
詩:優しさに包まれて 黑沢侑夕さん(兵庫県・高2)
温泉街の佃煮屋さんで
ふと、目にとまった
「いかなごのくぎ煮」の文字

じっと見ていると
店の中からおばあちゃん
そっと一口分、手に乗せてくれた

食べてみ
うまいで、と

おばあちゃんの手のぬくもり
シワの深い笑顔

柔らかい甘辛さ
鼻から抜ける生姜の香り

自然と笑みがこぼれる

くぎ煮に込められた優しさが
私の心を春色に染めていった
<三田完・特別審査委員長講評>
ほんのすこし、くぎ煮を口に入れただけなのに、ホンワカと幸せな気分になった。そんな体験を綴った作品です。作者の胸にある優しさに、読者も包まれます。
特選
俳句:亡き祖母の 影を追いかけ 炊く くぎ煮 浅井菜々子さん(兵庫県・高3)
<三田完・特別審査委員長講評>
亡くなったお祖母ちゃん。でも、くぎ煮を炊くとき、美味しそうな香りとともに、お祖母ちゃんの影が台所によみがえります。
特選
川柳:くぎ煮食べ くぎがはずれて 笑顔の子 横溝惺哉さん(宮城県・小5)
<三田完・特別審査委員長講評>
釘がはずれて笑顔になる──面白い表現ですが、よくわかりますね。みんなを笑顔にするくぎ煮に栄光あれ。
特選
短歌:いかなごが みんなおじぎを しているよ 「いただきます」と ぼくもおじぎする 横道玄さん(山口県・6)
<三田完・特別審査委員長講評>
6歳の作品だそうです。頭を撫でてあげたくなるような短歌ですね。これからは、くぎ煮以外のときでも、ご飯におじぎしてください。

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© 2007- いかなごのくぎ煮振興協会